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知らない人が来たから隠れたのだよ、きみ。 [アニメ]

 戸棚に隠れちゃう妖精さんかわいい。

 それにしてもラグーン商会も手広いじゃねえか。ソビュールまで
お出かけたぁ結構な商売だが、早いとこロックに知らせといた方が
いいかも知れないぜベニーボーイ?あの鉄砲玉のこった、気付いた
らケサンがピクニックに思える程の騒ぎを起こしかねねぇぜ?

 まあそれは置いておくとして。

 アニメ版しか見ていないので正しいかどうかわからないのですが、
わたくしやはりアンジェリカさんはエルキュール・ポワロ的であると
重ね重ね思う昨今なのでございますよ。

 よく似ています。探偵役本人があまり活動的ではない(腕っ節が
強くなく体力も犯罪者には劣る、インドア嗜好など)ハンディを、
足を使う相棒が補佐して情報の端切れを集めるところとか。

 推理に大穴が開いてるところとか。

 いえ、別に非難する意味ではないのです。これがまた実にアガサ・
クリスティー的である、という意味で。

 実はわたくしめは割と古めの海外推理小説を多くたしなんで来て
いるのですが、アガサ・クリスティー女史の作品が少し苦手だったり
するのですな。それはなぜかと申しますと。

 ちょっと回り道をしてご説明申し上げましょう。

 クリスティー女史が名を馳せた時代。当時は探偵小説が大流行した
時代で、特に「Who doit」(フーダニット)ものが大衆のお好みと
されていました。すなわち、荒唐無稽なトリックやオチの読めない
どんでん返しがあれば、いやむしろそれさえあれば多少の無茶苦茶や
論理的整合性がなくてもアリ!な感じがウケてます的な時代だったと
も言えます。そのため、クリスティー女史の描かれたベストセラー
探偵小説にもよくよく読みながら考えてみると色々とおかしな点が
あったりするのですが、同時代の探偵・犯罪小説にはそういうものが
多かったので、あまりそこはツッコミを入れるべきところではなく、
むしろそういうジャンルの中でクリスティー女史が文才を発揮して、
ものすごい数のライバルの中から抜きん出て現在まで読み継がれる
作品を書かれた、ということを素直に褒めるべきところでしょう。

 しかし。

 私が少々苦手に思う部分は、実はそこだったりします。

 推理を行うプロセスに、無理があるのです。

 例えばポワロはヘイスティングスやジャップ警部の伝聞、新聞記事の
内容や若干の現場検証などが描写されると、途端にクスクス笑いながら
「ポワロはなんでもお見通しなのですよ、mon ami」と言い出して、
次にはもうフーダニット特有のネタバレご説明大披露シーンへと続く
ことが多く見受けられます。灰色の脳細胞でなんでも解決みたいな。

 しかし、重ねながらしかし。

 「どうやってそれを知った?」「そう答えが導き出される理由は?」
がすっぽり抜けている部分が多いのですよ、mon ami。

 ポワロが長々と説明している解決編をようく読んでごらんあそばせ。

 さも事実であるように語ってはいますが........いや物語の構成上、
「なっ、なぜわかった!?」とばかりに犯人が認めてしまうからまあ
物語上の事実にはなるのですが、「ねえねえそこの卵形のはげ頭の
ちょび髭の小男のベルギー人のおっさん、それどうやって知ったの?
導き出された答えの基礎情報はどっから仕入れたの?ていうかそれ、
現場で見てないとわかんないよね?」のオンパレード。これぞまさに
ミステリー。そこんとこの説明が一切なかったり、隙間風が通る隙
どころか阿蘇山大噴火口くらいの大穴が開いていたりするのですね。
それでもポワロは、なんでもお見通しなのですよ、とクスクス笑いを
浮かべて誤魔化してしまいます。

 「事実を知っている事を前提に主観で話している人物がいる」
これは、物語を構成する上で陥りがちな罠だったりします。ラノベ
などによくある状況・設定説明長セリフなどもこの一種ですね。
本来であったらさらっと読んで頭に徐々に蓄積されてゆくように、
ト書きではなく文で描写・活写してゆかねばならないし、それの
積み重ねや流れ、空気作りがあってはじめて後に「ああ、そうか」と
納得できたりするようにせねばならないところなのですが。それが
足りないところを口で説明させて尺を取りはじめたら最悪です。
興醒めもしますし、何よりくどくどしい。しかも大抵、描写の薄い
ところを「だってこうだったんだもん!」と言い張らせることに
よって無理に収める方向に進むため、よくよく考えるとおかしな
ところや都合のよい後付け説明だらけになりがちです。

 だから後に「隅の老人」シリーズなどに代表される(クリスティー
女史自身も同じような構造をした作品を書いていますが)、「主観で
語っている本人が犯人」、「全てが語り部のミスリード」というのが
成立してしまう危うい部分がすごく多く見受けられるわけで。つまり
提出された論理の組み立てに穴が多く、物的証拠が乏しいのですな。

 そこのところにフラストレーションを感じるタイプの読者の方は、
やはりクリスティー女史の作品を苦手とされるようです。かくいう
わたくしもそのタイプで。

 しかし、みたびしかし。だからと言って嫌いになったり攻撃したり
することはありません。なぜなら、クリスティー的作品の魅力は、
幾千のはやりものの激烈な濁流の中から頭一つも二つも抜きん出て
いた、とても大事な部分にも拠っているからです。

 そう、なんだか読んでいて楽しくなってしまう軽妙な語り口(文体)。
そしてなによりも、「キャラ萌え」、でしょう。

 女史はそこのところが大変お上手で、登場人物が実に憎めない人
揃いだったりして、読んでいてそれだけでも幸せになれます。上記の
エルキュール・ポワロ氏もたまにイラッと来る変な小男ですが、時折
見せる茶目っ気やなんというか可愛らしい言動で、実にいいキャラに
なっていますし。その姿を物語と共に追ってゆくだけでなんだかもう
楽しくなって来るのがよいところで。

 なればこそ図書館の金色の妖精も、実にクリスティー的人物だと
わたくしは思ったりしたのですよ、mon ami。

 だから推理の事実関係を多角的検証して正誤を正す、などという
瑣末なことはどうでもいいのです。いや本来は探偵ものの一番大事な
鉄の掟ですけど。わたくしにとっては、もうどうでもいいのです、と
ネヴィリルくらいりりしく言い放ってみたい。

 金色の妖精と春に来た黒い死神が微笑ましい姿を見せてくれるなら、
もうわたくしはそれで。それで十分なのです。

 何が言いたいのかわけがわからなくなって来ました。

 つまりだね、きみ。

 碧ちゃゲフンゲフン*ヴィクトリカちゃんかわいい!

 こんな結論でよろしかったでしょうか。

 なぜ九条君が歯応えの固い菓子ばっかり持って来るのか、それは
果たしてちょっとした意趣返しのつもりなのか。次に彼が持ってくる
菓子が気になります。
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