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ある日突然いなくなる [雑記]

 大規模資本の出店が地域を死なせてしまう。

 それは出店前の地域零細自営店舗の競争に対する危惧だけ
ではない。本当の恐怖は、その後になってから地域住民に
ふりかかるのである。

 大規模資本のチェーン店は出店も早い。大規模仕入れと
在庫のストック調整により、普通ありえない程の小売価格を
売り物に出来る。

 だがしかし、そこまでである。実体は単なる問屋の直売で
あり、帳面勘定しかしていないからお客の顔を見ない。

 商品は売る側の理屈で並べられ、融通がきかない。欲しい
ものが思うように手に入らない。売っている側もただ大量に
並べているだけなので、相談もできない。結局、何か似た
ような代用品で済ませることしか出来なくなってしまう。

 何を売っているのか把握している専門店や小売雑貨店、
食品店が「商売が小さいから」という理由で大金持ちの
競争論理に敗北して、大規模店とチェーン店だけが勝利を
納めたその先に、本当の恐怖がやって来る。

 その大規模資本が張り切りどころを過ぎてしまい、商売が
間尺に合わなくなって来る。永遠の膨張と儲けはありえない。
どこかで手綱を引き締めなくてはならない時が、必ず来る。
最悪傾いてしまうか、一気に潰れてしまうわけだ。

 何が起こるか?突然、「◯◯何号店を撤退させます」と
いう簡単なプレスリリースが出る。帳面勘定だけを見ている
株屋と経済なんたらにはその程度の感心事であろう。

 だが地域ではこうなる。

 商店街も小売の店もなくなり果てた広範囲な地域で、突然
大規模補給端末が消滅するのだ。

 その時になってから慌ててももう手遅れである。その地域は
「儲けに繋がらない土地である」、という烙印を押され、同じ
場所に出店しようという同じような大規模資本の店はそうそう
いなくなる。零細自営業の必死に頑張っていた方々はとうの
昔に疲れ果て、倒れてしまって、2度と立ち上がる気力も資金
もなくなっている。

 そして、ちょっと歩くか自転車で行ける場所にあった買い物
場所がなくなってしまう。延々と自転車を1時間もこいでしか
行かれない場所、車がなければ行かれない場所にしか何もない、
という状態にある日突然置かれるわけだ。

 健康な者ならまだいい。金のある人間ならまだいい。だが、
歩くのにも余力の全てを注ぎ込まなくてはならない高齢者や、
一人で暮らしている人間はどうなる。とてもそんな移動だけに
無駄な時間も労力もかけてはいられない。

 ちょっとした小物を買いたいのに買えない。食料品や生活に
必要な雑貨で、ないと困るもののいかに多いことか。そんな時、
数kmも先に行かないと何も手に入らない状態で暮らせ、と
言われるのだ。これは別に山間部や遠隔地での話ではない。
東京などの都市部周辺で、実際に起こっている現象である。
これがさらに郊外になると、どうか。その距離は2桁のkmに
なってしまうことはザラだろう。

 大規模資本の競争の理屈で言えば、これは間違っていない。
ただ金勘定の上での大小で優劣が決まっただけのことである。

 だが、人としての道義としてはどうか。全く間違っている。
規模を縮小するなり分散させるなりして、地域に踏みとどまる
覚悟が必要なのに、そういう意識もない。他人に対する影響力
を行使出来る力に有頂天になるばかりで、力を使ったために
伴う義務など背負うつもりも最初からない。結局そういう商売
なのだ。

 それの善悪の是非については、個人的な意見だと言われる
ので本文では問わない。だが、恐れていた方がいい、とだけは
言える。そういう相手なのだ、と皆知っていた方がいいと思う。
激安店とショッピングセンターがあれば商店街なんていらない、
という考えを良しとしていたら、結局痛打を受けるのは何年か
後の自分であり、その後の子供達である。

 「企業に地域が捨てられる」、というのは、高度成長期が
行き詰まって企業城下町が次々と倒れた80年代あたりからの
キーワードであるが、今やそれが90年代の「流通革命」と
「自由化万歳」の行き詰まりによって、生活品を買うだけの
普通の消費者とその暮らしている地域にまであてはまって来て
いるのではないか。最近そんな事が気になってならない。


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