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「アニメじゃない」?いやアニメだって。そんなこと知ってらぁな。 [雑記]

 昔から首をひねっていることがありまして。

 なんじゃいね、その「キャラソン」っていうのは。

 ええと、例えば架空の物語があったとするでしょう?わたくしたちはその世界を
覗き眼鏡で覗き込む傍観者であるわけなんですけれども。

 その世界では、その登場人物は別に歌手でも芸能人でもないですよね?
ある人は普通の人だし、なんらかの職業人であったりはしても。

 なんで突然歌い出しちゃうのかな?

 まあまあ、無粋なことをいってくれるなとおっしゃいますな。物語に没入しやすい
わたくしの素朴な疑問なわけでして。

 作品の中で起こっていることは覗き眼鏡のこちら側のわたくし達には絵空事
でも、その作品の中の人物には現実の暮らしがあって、その中で起こっている
ことは現実だと考えてしまうのですよ、わたくしなぞは。

 アニメのキャラソン商売が始まった相当初期の頃から、どうも首をひねってばかり
いたのですが。何かこう、違和感のようなものを感じてしまって。

 企画物、イロモノとしてはありなんでしょうけど。普通にあって然るべきもの、
ファンの誰もが喜ぶものなんでしょうか、と。

 そしてそちらの方角に予算と力を注いでばかりで、アニメの本編は12話しか
作られなかったり。イベントやコンサートに能動的に足を運ぶ熱心なお客さんと、
消極的に作品を見るだけだけど好きになってくれてひそやかに応援してくれる
人達と、一体どちらの方が数が多いでしょうか。

 架空の物語を楽しむ時に踏み外してはならない鉄則のひとつは、
「現実だけど、現実じゃない」、を忘れちゃいけないところだと思うのです。
その物語を見ている間だけ、そこには覗き眼鏡の中に現実として架空が
存在するけど、でも覗いた内側だけにそれはある、っていうような。
自分を取り巻く現実の世界に無理に引っ張り出そうとしてはいけない、と
そう思ったりするわけなのですよ。ないものねだりなのですし。

 だから現実にいるキャラの中の人と架空世界のキャラを同一視したり、
その世界にあったら不自然なことをキャラを演じている人の声で言わせたり
したい、と思う気持ちが、昔からなんとなく理解しにくいなぁ、と思って
いまして。

 さっきのト書きの言葉をちょっと逆にしてみれば、「架空なんだけど、
そこでは事実であり現実」っていうことも言えるんじゃないかと。
ありのままの相手を知って、受け入れたいと思ってしまう難儀な性格の
わたくしなのでした。

 少々気になっていたことをふとつれづれに。

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