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お嬢様、戦う。 [ミリタリー]

 長らくお休みしていましたが、唐突にWebで見つけて気になったことを。

 さて、時は1914年9月。南米大陸にほど近い、トリニダードの沖合いに、
一隻の美しい客船がおりましたとさ。

 彼女の名は、カーマニア。キューナード・ライン所属の大型外航快速客船で、
石炭炊きが中心であった当時の貨客船の内にあっては、割と快速な部類に入る
18ノットで巡航できる船でした。

 時はあたかも第一次世界大戦幕開けの丁度その時であります。現在のように
航空機が発達する遥か以前の時代のこと、当時の英国は、文字通り世界中に
点在する英国を構成する全てのパーツと、海路によって繋がっておりました。
さあそこにつけこんだのがドイツ大海艦隊。無制限潜水艦戦争などはまだまだ
起こっていないこの時代、彼らが取った手段は「穀物倉にネズミを放つ」こと。
海軍の戦力では格段に劣っていたことを自覚している大海艦隊としては、かく
茫漠として広大な全世界に広がる海洋に、ほんの一握りの武装した貨客船や
軍艦などの独行船をばら撒き、英国船の主要航路付近で商船を散発的に襲わせ、
不安と恐怖によって交通を遮断、そして貴重な海軍戦力を捜索のために割かせ
るという、いわゆる「通商破壊作戦」をはじめます。

 さてこれに困ったのが英国海軍。現在のようにブロック構造や自動溶接で
大型船ががっつんがっつん建造できるような時代ではありません。岸に近い
あたりを這うように進む内航船ではなく、外海の猛々しい荒波に十分耐えて、
長期間行動できる大型船や軍艦は数が限られています。そこで、窮余の策と
して、長距離航路で華々しく活躍していた海の貴婦人たちにも召集令状が
届くことに。武装商船巡洋艦(Armed Merchant Cruiser)の誕生、と相成る
わけです。

 彼女達はもちろん、軍艦として設計されたわけではありません。大砲を
乗せるにしても発砲の衝撃にデッキが耐えられるように最低限補強をしなく
てはなりませんでしたし、持たされた砲も海軍のお古や余った陸軍砲など、
どちらかというと豆鉄砲のような代物が多かったようで。主たる任務は、
不審な船の捜索、臨検などのパトロール。高速客船たる船足を生かして、
本当に武装商船や軍艦に出くわした時には無線で通報しながら距離のある
うちに逃げ、退治は本職の軍艦に任せる、というのが本来の働き方でした。

 ところが。恐れ多くもH.M.S.(His Majesty's Ship = 国王陛下の軍艦)の
冠を戴いたお嬢様、カーマニアさんはちょっと違っていたようです。

 この、第一次世界大戦での軍艦に叙された船同士の初めての海戦に
あたる戦いは、ちょっとだけ特殊な状況により、前代未聞のお嬢様バトル
へと発展した非常に珍しいケースでした。対する相手は元ハンブルグ・
南米ライン出身のドイツ武装商船、カプ・トラファルガー。この2隻は
性能、大きさ的にもほとんど同じくらいで、武装もほぼ同レベル、あまつ
さえその時、この運命に導かれたライバルお嬢様同士は同じ海域にいると
おぼしきお互いの姿へと戦時偽造しており、奇しくもカーマニアは偽装
煙突をひとつ立てて3本煙突のカプ・トラファルガーに、対するカプ・
トラファルガーもカーマニアに見えるようキューナード風の白黒化粧を
して煙突を赤く塗って(実際にはカーマニアの方は軍艦色のグレイ一色
になっていましたが)いたそうです。お互いの姿を目視で発見した時には、
さぞかしびっくりしたことでしょう。

 さて、武装商船という胡散臭いお仕事のせいでリッチなお食事を採りに
レストランに立ち寄る(敵対水域なので寄港できない)ことすらできない
身の上なカプ・トラファルガー嬢。トリニダード沖の無人島拠点で腹ぺこ
になって行き倒れかけていたところへ実家のシェフ(2隻のドイツ給炭船)
を呼びつけ、優雅にお食事をなさっていました。
 その高々と上がる不審な炊事の煙を見つけ、あらあらまあまあ何かしら、
と入り江を覗き込んだ好奇心旺盛なお年頃の我らがカーマニアお嬢様。
ドイツ側の不意を突く形で入り江に入り込んだまではよかったのですが、
お互いに図体のでかい客船ですので小回りが利きません。このままケンカ
をするにはあまりに部屋が狭すぎます。そこで、二人のお嬢様は銃に手を
かけたまま睨み合い、じりじりと距離を取りつつ、だっ、と全速力で玄関
から庭へと(入り江から開けた海面へと)走り出します!

 片やドイツのお嬢さんは2丁拳銃(10センチ砲2門)と6本の豆鉄砲
(2ポンド速射砲)、対するイギリスのお嬢様は片手に4丁づつの拳銃
(12センチ砲8門)を握り締めて突進。最初にぶっ放したのはカーマニア
の方でしたが、惜しくも逸れて反撃を食らいます。しかしお互いに大きな
客船で的はでかいのですが、いかんせん海軍砲としては武装がどちらも
口径がちいさく、仮設なので海戦機動をして揺れまくるデッキに据えら
れた各々の砲は直接照準で発砲するしかなく、いまいちお互いに決定打を
与えられません。4インチくらいの口径の砲でしたら、軽巡洋艦などの
もっと小さな軍艦では立派な主力火砲にあたるのですが..........。

 このお二方の場合、なにせお互いに一万八千トンクラスの大型客船なの
で、サイズだけなら戦艦並、浮力と容積には余裕がありまくりなのです。
しかも客船であるため間仕切りが多く、構造的に複雑堅牢で容易には船体
が崩壊しません。その逆に、装甲があるわけでもないので、砲弾が爆発せ
ずに反対舷まで貫通してくれたり、爆発したとしても空き客室があたかも
中空装甲のような効果を発揮して、衝撃と破片をその場で食い止めてしま
います。軽巡クラスの主砲では、お互いに相手をずどん!と一発で仕留め
るわけにもいかなかったのでした。

 戦いはおよそ2時間以上に及び、お互いの距離は気付けばどんどんと
狭まっていて、ついには臨検用の小銃や機関銃を持ち出した水兵たちが、
舷側にずらりと並んで撃ち合いはじめる始末。さすがに船体をぶつけ
合っての斬り込み戦にはなりませんでしたが、状況はさながら木造帆船
時代の戦列艦の戦いのようになって来ました。カプ・トラファルガーの
方は沈んでしまったので記録が残っていませんが、この状態で最終的に
カーマニアお嬢様は79発もぶん殴られ(命中弾を浴び)、お帽子なども
吹っ飛ばされ(艦橋に被弾)ていたそうで、どちらの方ももうドレスが
ビリビリに破け血だらけに(両艦とも火災が発生)なってもまだまだ
意地を張りつつポカポカと殴り合っていたそうです。

 カーマニアお嬢様がもはや裸同然に(火災で危険な状態に)なって
しまいもうこれは淑女にあるまじき状態にあと一歩というところで、
なんと同じように着衣を乱していた(こちらも危険な程火災を起こし
ていたそうです)カプ・トラファルガーがボディーブロー(喫水線
下への被弾)に耐え切れず、左にぐらり、と倒れてノック・ダウン。
哀れ海の藻屑となり、ここに、史上稀なる南洋のお嬢様バトルは、
勇猛果敢なる英国令嬢に凱歌が上がることとなりました。

 水兵さんに肩を貸してもらい、ボロボロのいでたちでブラジル南岸
まで戻ったカーマニアお嬢様はその後、ジブラルタルで入院。お召し
替えをなさってその後2年間の大西洋パトロール、兵員輸送船などに
携わり、戦後は客船に戻って1932年まで活躍なさったそうです。

 南大西洋の遥か遠い片隅で、他にお付の者もおらず、まったく同じ
と言っていいくらいの大きさの、非力な武装しか持たない二隻の船が、
互いに逃げられない程の距離で出くわし、一騎討ちで長時間戦い続け
るという、なんともラノベか仮想戦記かというような、あまりにも
都合のよすぎる特殊な状況の下で現実に起こった、まさに事実は小説
よりも奇なり、なトリニダード沖海戦のお話でしたとさ。

 しかし、時代が時代なら、このお嬢様方も擬人化されてあざとい
萌えキャラ化されてしまうのでしょうか。気になります。
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