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国王陛下の名の下に:英軍兵器おぼえがき01 空飛ぶフライパンの柄 [ミリタリー]

 ごぶさたしておりました。

 このところツィートでごちょごちょ機能回復も兼ねて即興文の早書きをしていたのですが、割と量があるのでもったいないと思いまして、こちらに加筆しつつ転載してゆくことにしました。

 第一弾は、Flying Panhandle のニックネームを持つ、ハンドリー・ページ ハンプデンのお話から。

 半可通ほどハンプデンは変な形とか言ったりいたしますが、側面図か斜め前からの写真しか見た事ない人が多いと思います。立体で眺め回すとものすごくかっこいいし合理的にできてるのが一目瞭然なんですよ(但し乗務員の乗り心地は除く)。対空砲火の効果を下げるため正面投影面積を究極まで絞れ、という戦前のRAFの研究結果に基づく仕様要求に答えた、極端なスタイルなのです。

 あんななりで翼は長く極端なテーパーで、ハンドリー・ページと言えばこれ、というご自慢のオートマチックスラット装備。安定性も剛性も揚力もばっちりです。主要胴体は異様にコンパクトで、戦闘機並みに細いくせに胴体は翼のボックススパーをまたいで上半分とあとちょっとだけが飛行機本体、下はほぼ弾倉、尾翼はプロペラ乱流に干渉しない距離に細いブームで離して設置、というおっそろしく割り切ったレイアウト。そんな中に5人も乗るから、一旦自分の持ち場に乗ったらほとんど身じろぎもできない、と大変不評でした。

 弾倉は尾翼ブームを除く主要機体のほとんどにわたる長さで、ハンドリー・ページの飛行機に共通した個性である積載量のでかさもあって、欧州戦初戦〜中期頃まではサイズに見合わない「長い武器」が積める貴重な機体として、馬車馬のように働いていたのは日本ではあまり知られてないところ。「長い武器」とは、航空魚雷、大型徹甲爆弾、投下機雷、大型の航空爆雷などなど。それを内蔵式に格納でき、機動性もよいハンプデンは北部沿岸を中心に商船・潜水艦・港湾・停泊中の軍艦を含む軍港などをがしがし長時間洋上哨戒、長距離奇襲攻撃して戦果を挙げておりました。まさに沿岸航空軍の馬車馬。

 まあ戦前の設計の飛行機なので、初戦の爆撃軍ではRAFの爆撃機ドクトリンのせいで機動性を過信されていて、護衛機もなしに爆撃機だけで編隊を組んで昼間出撃させられ、フェアリー・バトルと同じ運命を辿っていらん大損害を受けていらない子扱いにされてしまったわけなんですけども。それでもあるものはちゃんと適材適所で使いこなすのが英国貧乏性魂。

 その後、沿岸航空軍にもいろいろ新しい世代の飛行機が増えて来たので、ハンプデンは徐々に標的曳航機や練習機、一部はソ連にもらわれて北極海沿岸送り、となりましたが、ある一時期の英仏海峡から北海にかけての夜空を忙しく飛び回って大活躍していた、隠れた名機であったと言えるでしょう。

 ちなみに英仏海峡の戦い序盤から中盤において、ハンプデン部隊が占領下のフランスの港に航空機雷をこっそり敷設しに行っていた任務の作戦名は、「Operation Gardening」と言います。まぁ機雷敷設も園芸に似て効果的な配置での植え方がモノを言う世界ですし、言い得て妙、ですよね。

 そしてハンプデンこぼれ話。中が狭い!乗員それぞれの席は人が収まるくらいしか空間がなく、長距離を飛べる飛行機なのに、ほとんど「ちょっと席を外す」ことができませんでした。それでも前の3人は空間があるのでアクロバティックな身のこなしで上下に潜り合ってお互い体を入れ替えれば、なんとか交代もできます。通信手兼後部上機銃座の人も、翼のボックススパーの上の細いトンネル状の空間を這ってゆけば、ギリギリなんとか前まで移動できたとかいう話。特にひどかったのが主胴体下の後ろ向き銃座で、他のクルーとは完全に切り離された場所でたった一人、変な姿勢でうずくまったまま後ろ向きで過ごさねばならず.........大変な課題を抱えることに。

 ぶっちゃけ言うとお小水の問題です。ちょっとしたスペースもないせいで、後部の2人はその問題で頭を悩ませることになります。

 前述の後部下銃座手は背中の後ろが爆弾倉の扉で、席の周囲はほとんどが窓、という冷え込み地獄で、ただでさえもよおすのに変な姿勢で身をよじりながらつまりそのアレをですね。まあとりあえず空き缶とかにいたして外に捨てるわけなんですけど、それが大変困難で、後部下銃座はいつも「香り高き職場」となっていて大変困った、というおはなしでした。

 おあとがよろしいようで。

サン・ヴィット攻防戦。 [ミリタリー]

 ええ、昨日は大層な雪でございましたな。幸い積もりはしません
でしたが。東京地方とその周辺の県はひさかたぶりの雪が続く休日
となりましたけれども。

 わたくしはこんな悪天候でも戦はせねばならない、という非情の
掟に従って出撃したのでございます。英海兵隊コマンドウは独軍の
突出を阻止すべく米軍の反撃に悪天候を突いて加わったのですよ。

 しかし現地に到着してみれば、結果20人以上が雪景色を楽しみつつ
市街地を見立てたフィールドで激しい攻防戦を繰り広げる、という、
欧州第二次世界大戦モチーフのゲームでは夢のような状況であった
わけなのでした。ボタ雪の降りしきる中、立ち止まって潜んでいれば
みるみるうちに肩にヘルメットに雪が積もり、動きを止めれば凍え、
さりとて下手に動けば危険だし、それでも戦わなくてはならない、と
いう生々しい状況では、水野晴雄閣下の明言が非常に身に染みます。

 「戦争は、いかん!」(棒読みだが力強く)

 思うに、反戦団体系の人とか、ものすごく勘違いしていると思うの
ですよね。

 本物の外国軍を含む軍隊が国中を占領したり、軍事作戦で立ち入っ
たりしてそこいら中をうろうろしていて、やりたい放題に暴れている
だとか、軍事政権の圧政下にあるわけでないから、古い軍服をお遊び
で着たり、本物の銃器の脅威にそんなに晒されていない社会だから
こそ、おもちゃの銃で撃ち合ったりする遊びが安心してできるわけで。
サバイバルゲームをやっている人に「軍国主義反対!」だとか抗議を
したり、「汚らわしい!」と突っかかるそのテの人達は、ものすごく
見当違いの事をしている自覚がないように思います。

 代償行動なのかとも考えられますけど。本物の銃を持った軍には
怖くて抗議したり喧嘩売ったりできないけど、そうでないとわかって
いる似たような姿を好むくらいの反撃して来ない一般市民には因縁を
つけて溜飲を下げる、のような。

 本当に軍隊の脅威に抗議したいなら、敗戦以来未だに日本を占領
して実際に多数の軍事基地を持ち、兵隊が街に繰り出して占領国特権
で乱暴狼藉をしたりしているアメリカ軍に抗議に行けばいい筈ですが。
日本中のどこでも、地域の詳細地図とか見れば一目瞭然ですよ?
あなたの住んでいる場所にも、割と身近に米軍管理施設というものが
転々とあったり、大きな基地があったりします。軍事上そこを利用
できればおいしい場所、例えば通信中継施設を作るのに便利な山頂、
航空航法関係、補給端末、元々旧軍が使っていた飛行場、軍港施設。
それに文官が勤める施設類など、それはもう多岐にわたって日本の
国土を立地の条件がよい所を優先的に好きに利用していたりして、
身近に米軍さんだったらいくらでもうろついているんですけどね。
そっちに抗議というか因縁をつけにゆけばよろしかろうに。別に
沖縄まで行かなくてもご近所でお気軽に抗議活動ができますよ?
と教えてあげたく.......というか言い返してやりたくなります。

 ミリタリー趣味の業界の人達にも、エアガンメーカーなどにも、
むしろ声を大にして自信を持って主張していただきたい。

 「サバイバルゲームこそが、平和の象徴です。」

 平和だからこそ、シミュレーションの世界で戦争ごっこができる
のですよ。

 その上で襟を正して、自分を律して、実際の暴力を憎み、戦争を
憎んでいればこそのサバイバルゲーム。それに「軍国主義の片棒を
担ぐつもりか!軍靴の響きが聞こえる!」などと攻撃するのは、何かが
根本の部分で間違っている気がいたします。

 まあ確かに軍靴の音は聞こえるでしょうけれど。実際に履いてるし。

 濡れてしまったDMSアンクルブーツの乾き具合が気になります。
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お嬢様、戦う。 [ミリタリー]

 長らくお休みしていましたが、唐突にWebで見つけて気になったことを。

 さて、時は1914年9月。南米大陸にほど近い、トリニダードの沖合いに、
一隻の美しい客船がおりましたとさ。

 彼女の名は、カーマニア。キューナード・ライン所属の大型外航快速客船で、
石炭炊きが中心であった当時の貨客船の内にあっては、割と快速な部類に入る
18ノットで巡航できる船でした。

 時はあたかも第一次世界大戦幕開けの丁度その時であります。現在のように
航空機が発達する遥か以前の時代のこと、当時の英国は、文字通り世界中に
点在する英国を構成する全てのパーツと、海路によって繋がっておりました。
さあそこにつけこんだのがドイツ大海艦隊。無制限潜水艦戦争などはまだまだ
起こっていないこの時代、彼らが取った手段は「穀物倉にネズミを放つ」こと。
海軍の戦力では格段に劣っていたことを自覚している大海艦隊としては、かく
茫漠として広大な全世界に広がる海洋に、ほんの一握りの武装した貨客船や
軍艦などの独行船をばら撒き、英国船の主要航路付近で商船を散発的に襲わせ、
不安と恐怖によって交通を遮断、そして貴重な海軍戦力を捜索のために割かせ
るという、いわゆる「通商破壊作戦」をはじめます。

 さてこれに困ったのが英国海軍。現在のようにブロック構造や自動溶接で
大型船ががっつんがっつん建造できるような時代ではありません。岸に近い
あたりを這うように進む内航船ではなく、外海の猛々しい荒波に十分耐えて、
長期間行動できる大型船や軍艦は数が限られています。そこで、窮余の策と
して、長距離航路で華々しく活躍していた海の貴婦人たちにも召集令状が
届くことに。武装商船巡洋艦(Armed Merchant Cruiser)の誕生、と相成る
わけです。

 彼女達はもちろん、軍艦として設計されたわけではありません。大砲を
乗せるにしても発砲の衝撃にデッキが耐えられるように最低限補強をしなく
てはなりませんでしたし、持たされた砲も海軍のお古や余った陸軍砲など、
どちらかというと豆鉄砲のような代物が多かったようで。主たる任務は、
不審な船の捜索、臨検などのパトロール。高速客船たる船足を生かして、
本当に武装商船や軍艦に出くわした時には無線で通報しながら距離のある
うちに逃げ、退治は本職の軍艦に任せる、というのが本来の働き方でした。

 ところが。恐れ多くもH.M.S.(His Majesty's Ship = 国王陛下の軍艦)の
冠を戴いたお嬢様、カーマニアさんはちょっと違っていたようです。

 この、第一次世界大戦での軍艦に叙された船同士の初めての海戦に
あたる戦いは、ちょっとだけ特殊な状況により、前代未聞のお嬢様バトル
へと発展した非常に珍しいケースでした。対する相手は元ハンブルグ・
南米ライン出身のドイツ武装商船、カプ・トラファルガー。この2隻は
性能、大きさ的にもほとんど同じくらいで、武装もほぼ同レベル、あまつ
さえその時、この運命に導かれたライバルお嬢様同士は同じ海域にいると
おぼしきお互いの姿へと戦時偽造しており、奇しくもカーマニアは偽装
煙突をひとつ立てて3本煙突のカプ・トラファルガーに、対するカプ・
トラファルガーもカーマニアに見えるようキューナード風の白黒化粧を
して煙突を赤く塗って(実際にはカーマニアの方は軍艦色のグレイ一色
になっていましたが)いたそうです。お互いの姿を目視で発見した時には、
さぞかしびっくりしたことでしょう。

 さて、武装商船という胡散臭いお仕事のせいでリッチなお食事を採りに
レストランに立ち寄る(敵対水域なので寄港できない)ことすらできない
身の上なカプ・トラファルガー嬢。トリニダード沖の無人島拠点で腹ぺこ
になって行き倒れかけていたところへ実家のシェフ(2隻のドイツ給炭船)
を呼びつけ、優雅にお食事をなさっていました。
 その高々と上がる不審な炊事の煙を見つけ、あらあらまあまあ何かしら、
と入り江を覗き込んだ好奇心旺盛なお年頃の我らがカーマニアお嬢様。
ドイツ側の不意を突く形で入り江に入り込んだまではよかったのですが、
お互いに図体のでかい客船ですので小回りが利きません。このままケンカ
をするにはあまりに部屋が狭すぎます。そこで、二人のお嬢様は銃に手を
かけたまま睨み合い、じりじりと距離を取りつつ、だっ、と全速力で玄関
から庭へと(入り江から開けた海面へと)走り出します!

 片やドイツのお嬢さんは2丁拳銃(10センチ砲2門)と6本の豆鉄砲
(2ポンド速射砲)、対するイギリスのお嬢様は片手に4丁づつの拳銃
(12センチ砲8門)を握り締めて突進。最初にぶっ放したのはカーマニア
の方でしたが、惜しくも逸れて反撃を食らいます。しかしお互いに大きな
客船で的はでかいのですが、いかんせん海軍砲としては武装がどちらも
口径がちいさく、仮設なので海戦機動をして揺れまくるデッキに据えら
れた各々の砲は直接照準で発砲するしかなく、いまいちお互いに決定打を
与えられません。4インチくらいの口径の砲でしたら、軽巡洋艦などの
もっと小さな軍艦では立派な主力火砲にあたるのですが..........。

 このお二方の場合、なにせお互いに一万八千トンクラスの大型客船なの
で、サイズだけなら戦艦並、浮力と容積には余裕がありまくりなのです。
しかも客船であるため間仕切りが多く、構造的に複雑堅牢で容易には船体
が崩壊しません。その逆に、装甲があるわけでもないので、砲弾が爆発せ
ずに反対舷まで貫通してくれたり、爆発したとしても空き客室があたかも
中空装甲のような効果を発揮して、衝撃と破片をその場で食い止めてしま
います。軽巡クラスの主砲では、お互いに相手をずどん!と一発で仕留め
るわけにもいかなかったのでした。

 戦いはおよそ2時間以上に及び、お互いの距離は気付けばどんどんと
狭まっていて、ついには臨検用の小銃や機関銃を持ち出した水兵たちが、
舷側にずらりと並んで撃ち合いはじめる始末。さすがに船体をぶつけ
合っての斬り込み戦にはなりませんでしたが、状況はさながら木造帆船
時代の戦列艦の戦いのようになって来ました。カプ・トラファルガーの
方は沈んでしまったので記録が残っていませんが、この状態で最終的に
カーマニアお嬢様は79発もぶん殴られ(命中弾を浴び)、お帽子なども
吹っ飛ばされ(艦橋に被弾)ていたそうで、どちらの方ももうドレスが
ビリビリに破け血だらけに(両艦とも火災が発生)なってもまだまだ
意地を張りつつポカポカと殴り合っていたそうです。

 カーマニアお嬢様がもはや裸同然に(火災で危険な状態に)なって
しまいもうこれは淑女にあるまじき状態にあと一歩というところで、
なんと同じように着衣を乱していた(こちらも危険な程火災を起こし
ていたそうです)カプ・トラファルガーがボディーブロー(喫水線
下への被弾)に耐え切れず、左にぐらり、と倒れてノック・ダウン。
哀れ海の藻屑となり、ここに、史上稀なる南洋のお嬢様バトルは、
勇猛果敢なる英国令嬢に凱歌が上がることとなりました。

 水兵さんに肩を貸してもらい、ボロボロのいでたちでブラジル南岸
まで戻ったカーマニアお嬢様はその後、ジブラルタルで入院。お召し
替えをなさってその後2年間の大西洋パトロール、兵員輸送船などに
携わり、戦後は客船に戻って1932年まで活躍なさったそうです。

 南大西洋の遥か遠い片隅で、他にお付の者もおらず、まったく同じ
と言っていいくらいの大きさの、非力な武装しか持たない二隻の船が、
互いに逃げられない程の距離で出くわし、一騎討ちで長時間戦い続け
るという、なんともラノベか仮想戦記かというような、あまりにも
都合のよすぎる特殊な状況の下で現実に起こった、まさに事実は小説
よりも奇なり、なトリニダード沖海戦のお話でしたとさ。

 しかし、時代が時代なら、このお嬢様方も擬人化されてあざとい
萌えキャラ化されてしまうのでしょうか。気になります。
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点と線 [ミリタリー]

 雑記でございます。今回はひとつサバイバルゲームの話題などを。

 先日、天使にパトラッシュと連れて行かれかけた場所で行われた実戦形式のフィールド・ゲームにて、今回も大規模な分別のある大人同士の娯楽を楽しく遊んでまいりました。久々に、迂回浸透・後方撹乱・分隊支援射撃などなど、得意分野を思う存分生かす事が出来て楽しかったわけで。いつも単独行動に出がちなわたくしを、暖かく野放しにしてくれる小隊長、本当にありがとうございます。

 唐突ですが、分隊支援射手の心得とは!

 ひとつ! 距離を恐れるな!
 ひとつ! 弾幕形成は散布範囲を狭めてコントロール!
 ひとつ! 引き付けて撃つ時は焦らず二呼吸置く!

 こんな所でしょうか。

 最初のは、普段から自分の使っているエアガンの性能限界を知っておいて、直線弾道の有効射程距離以上の所から的確に弾着できるようにトレーニングする事が必要です。50m〜100mの範囲で一度試して見るとよいでしょう。

 次のは、試射の上、一旦弾着が吸い込まれ始めたのを確認したら、射線を指した指先を円を描くように微妙に揺らすくらいの感覚で散らせます。中〜遠距離の射撃では、ノーマルパワーの銃では狙っても当たるものではありません。野球のピッチングで言ういわゆる「荒れ球」を利用する要領で弾幕形成射撃を行って、相手を遮蔽物に追い込むか仕留めるかして制圧します。散らし過ぎると散布面が大きくなって、無駄弾ばかりになってしまいますのでご注意あれ。

 最後のは、陣地防御などで相手方が優勢に押して来た場合、あるいは一斉に突撃して来た場合の対処法です。遮蔽物の陰もしくは射撃位置にいる場合、焦って撃つと位置が特定され、反撃される時間が長くなって、雨あられとBB弾を浴びる事になるわけで。どうせ捨て身の反撃をする事になる状況ですから、落ち着いて、撃ちたい瞬間より2つばかり深呼吸するくらいの間待って、目の前に迫った集団を横薙ぎにした方が有効です。距離が近ければ近い程射線の弾数密度が上がり、扇型の散布範囲を短時間により広く取る事が出来て、一層の面制圧効果が出ます。

 普通の短時間ルール戦やフラッグ戦ではあまり出番がないと思われる分隊支援火力ですが、大きなフィールドでの大人数 vs. 大人数の長時間シナリオバトルでは、こういうコツも心得ているとまた楽しさが増しますよ。縁の下の力持ちになりたい方、ちょっと人とは違う役割分担を楽しみたい方にオススメです。是非お試しあれ。


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