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ぼんちゃん、いいよいいよー。 [雑記]

 全ての映像を作る作業に携わることを目指す人々に、必ず教科書として
見ていただきたい作品というものがあるのです。

 ええ、ぜひとも。まさにこれはバイブルといってもよろしいでしょう。

 反面教師の。

 映像作りの上での、「これはやってはいけない!」の理想的なまでの
具体例がふんだんに詰まった、輝くばかりの宝石が一杯並ぶ素晴らしい
ショウケース。映像だけではなく、漫画などを志す方にもきっとお役に
たつのではないかと思うのですよ。

 それは、シベリア超特急。シベ超ですよシベ超。

 先ごろお亡くなりになられた映画評論家、水野晴雄さんが晩年に私財を
投げ打って作り続けた、映画への愛情余ってたたらを踏んで床を踏み抜い
てしまったような一連のプロジェクト。つまりその第一弾であるところの、
映画「シベリア超特急」と、「シベリア超特急2」までをお勧めします。

 それ以降まで延々と見るのは多分辛いので。

 もし、貴方が「お昼のロードショー」や「木曜洋画劇場」の全てに寛容
になれて、テレビや日本の映画館で流れる内容がちっともわけわからない
意味不明な予告編の数々に大爆笑できる余裕のある方でしたら、その全て
を味わい尽くすというのも一興でございましょう。あなたのハートには、
何が残りましたか?と言われても怒らないひとでしたら、きっと大丈夫。
でも個人的にはお勧めしません。あくまで自己責任でお願いします。

 以降、昔の記憶なのでちょっとうろおぼえ混じりでお送りしますが、
ご容赦願えれば、と。

 古今東西の映画に大変造詣が深く、愛情を持って語られていた水野氏の
愛すべき語り口と名場面の切り出し具合は、さすがなるほど、ともいえる
手腕でした。だからこそいわゆる批評家世界のライターという不安定な
職種の中でずうっと長きにわたって最前線にいらっしゃることができたの
でしょう。

 しかし。しかしながら。

 あのお方は禁断の園へと足を踏み入れてしまったのです。ぼんちゃんと
のめくるめく禁断のゲフンゲフン*いやそうじゃなくって全ての世界に共通
する鉄の掟を破る、という茨の道へ。

 「批評家は名プレイヤー(監督)になりうるか?」

 これは古くからある論争で、今日まで激しく自称批評家の方々が好んで
続けられているような気がする大変不毛なトピックですが、まあぶっちゃけ
結論は出ています。「absolutely NO」。

 批評だけを続ける人は、最終目標である完成品の一番出来がよろしい部分
だけをつぎはぎして、名作が出来ると簡単に思い込んでしまうものですし。

 本当は、生みの苦しみの上で端から端まで完成させてから、最終的に一個
の創造物として成り立つのが作品なわけで、全てに完璧を求めようとすれば
完成しませんし、労力も時間も無限に消費するばかりでちっとも世に生まれ
ないことになってしまいます。劇創作だけのお話ではないのですが、技術力
や予算、マンパワーと時間などの現実と最大限の努力で妥協し、一旦完品に
して次へ進む勇気が、ものづくりには必要だったりします。

 引用なしにゼロから起こしてモノを作る労力を、多くの批評家は割と軽視
して悪言雑言をぶつけてしまいがちになる傾向がありますが、そこまでその
ジャンルに精通しているというのなら、どういった経緯でどういった制作
手法の現実的な限界でこのようになったかはすぐ判るはずで、その上で全体
のバランスとして面白かったかどうかを語れる筈だと個人的には思います。
読んでいてなるほど、と思わせたり、その作品を見たい、手に取りたい、と
思わせてくれるような批評記事を書かれる方はそこのところがお上手な方で
あるような気がいたしますし。

 しかしながら、そのような業界で愛されて幾星霜、生き延びてこられた
筈の水野晴雄さんが、愛が余ってやらかしちゃったのが本作品。

 深夜上映会でサプライズ登場されたご本人が、熱く熱く語られた各シーン
の「引用元の名画のあのシーン」。レイトショー2本立てだっつってんのに
ご本人が現れて映写場で時間を気にせずに存分にお話しなさるその全ての
文言に、わたくしたち観客の全てが終電の時間など忘れて聞き入り、かつ
大爆笑したものです。

 笑いが起こったのはなぜか。どこに、笑いを誘う「落差」があったのか。
別に嘲笑うとかバカにするとかそういうことではなかった、とだけは今でも
はっきりと明言できます。みんな、水野氏が大好きでした。でも、笑いが
生まれた。それは、「愛ある熱意と現実(の製品)とのギャップ」、だった
のでしょう。

 彼は限られた私財で、自らの映画業界での今までのキャリアと人脈をも
駆使して、最大限の努力をしました。出来上がった作品のキャスト表、
機材資材の質からしても、見た人にはそれがよく伝わって来ます。

 でも、そこまで。

 本当にそこまで、でした。

 彼はやってはいけなかったのです。「記憶に残る名画のあのシーン」を、
まんまそのまま作ろうとしては。しかも制作手法・工程については素人、
物語の創作経験もなく、構図も切れず、主役は自分(演劇経験一切なし)、
おまけに手に入る範囲の予算と資材だけしか持っていないのでは。

 色んな意味で、最初っから限界が来ていました。

 この作品については幾百の方が様々な解説をされていますので、ここ
からは、個人的に気がついた舞台設計についてをいくつか挙げてみます。

 まずセットの設計が出来ていません。どう構図を切るか、どのアングル
が必要となるか、で、実際のロケーションの中にカメラや員数、役者を
入れるのに不都合となる場合、もしくは現実に存在しない場合に、セット
を組む必要が生まれるわけですが、それは実際の構築物とは違っていて
あたりまえなのです。カメラが写したい方向だけに壁があればいいし、
その逆を言えば、四方を作ってあっても状況に応じてカメラ・機材が
陣取る方向が一部分解できるようにしておくか、アングルによっては
部分的に別セットを組む必要があります。それはちゃんとした映像の
イメージがコンテワークやストーリーボードのような形で下書きに
なっていなければ不可能で、ストーリーの中でどれだけの量を画像化
しなくてはならないか、どこまでできるのか、をあらかじめ抽出して
構築物を見積もっておかなくてはお金がいくらあっても足りません。

 しかし、彼がやっちゃったのはこうです。

 実際に狭い通路と客室コンパートメントがいくつもある列車みたいな
横長のなにかをセットとして床面積の横幅ギリギリ一杯に作る。これは
分解不能で、でも結局撮影しているときには使う客室はひとつだけ。
ほぼ同じ構造なのに。そして寝台列車の個室がある車両の構造をよく
思い出して下さい。そう、とても狭いですよね。これを壁全部作りつけ
で作ってしまったら、カメラ機材や撮影する人、役者が入るスペースは
どの状況になってもギュウギュウ詰めに当然のごとくなるので、撮影
できるアングルはごく限られた平板なものだけになります。画面にもう
動きがなく実に狭っ苦しいです。カットバックもパンもズームもろくに
生かせません。というか、カメラがどこにはまりこんで身動きが取れな
くなっているのか、映像を見ていてもう手に取るようにわかってしまい
ます。そんな空間で漠然と場当たり的に撮影をしていればそりゃあ窮屈
にもなるでしょう。

 似たようなことに、「動線の設計」というものがあります。物語を
文字で描く時にも本来必要なのですが、「このタイムライン上で、現在
各人物はどこの場所に存在していて、どう動いているのか、そしてその
空間はどのような場所、位置関係なのか」、という空間の設計図なの
ですが。とみに映画などの場合、それが破綻していると珍妙なシーンが
たちまち出来上がる原因ともなります。ワープする主人公、さっきまで
夜だったのに外に出るとあーらいい天気、などなど。

 「2」では、どう見てもどっかのリゾートマンションにしか見えない
大満州の有名旅籠「富士屋ホテル」が舞台になりますが、全景もなけれ
ば内部の動線も描かれません。ビジョンが最初からないのです。途中で
「これ宇宙戦艦の中です」と言われてもああそうですか、にならない
ために、多少の説明的画像の挿入や、説明的台詞などの小細工は折々に
必要なものなのですが。水野氏は「撮りたいあの名画のあの場面」だけ
しか愛していないので、そういう瑣末に思える部分には必要を感じて
いらっしゃられなかったのでした。

 冒頭からだらだらと続く続々と登場人物が入ってくる「玄関」と称す
一切写らない横向きのエントランスは、「うわあすごいあらしだあ」と
ドリフも真っ青な素人芝居でホテルマンが吹っ飛ぶシーンなどでも度々
出てきますが、カメラが終始置きっぱなしになっているその定点からは
延直線上の垂直面にあり、なぜかそこから入ってきた人達は構図の奥に
無駄に伸びている下ってゆく通路ではなく、カメラを左に首振りすると
ようやく写る曲がり角にちょこん、と置かれた簡易カウンター(という
か電話台)の方にやって来ては、チェックインしてさらに狭苦しい左側
の死角へと次々とはけてゆきます。

 どこにゆくのでしょう。

 まあそういうものだと飲み込んでおいたとして。

 今回はセットではなくロケハンですから、多少やむなしと考えて。

 多少ですよ?

 ラストシーン、(ネタバレ注意!まあ誰も怒んないか)犯人さんは
お歌が流れる中を戦争の悲しい歴史の被害者だとかなんだとかいうことで
悠々と歩みホテルを去る(ということですよね?あれ?)後姿を延々と
我々に哀愁を込めて見せてくれます。

 さっき説明しましたロビーから見まして。

 下ってゆく通路の奥へ。

 はい、ここで問題です。

 建物の出入り口はどこでしょう?

 最後のシーンに使う予定があって、最初の方から立て続けに手前に
あたる横向きの玄関(おそらく実際の外との出入り口ではなく部屋か
別の通路の出入り口ドア)を使ってしまっているなら、奥行きに伸び
る通路を物理的に仮設物で塞いでおくか、せっかく角がさらに手前に
あるのですからそれを利用して、撮影位置を少しだけ左にずらし、
角度を変えて奥に伸びる空間を死角で切断しておけばよかったのです。
そうすれば、未知なる富士屋ホテルのいずこかの出口に通じる大通路
だと言われても(言われなかった場合でも)、誰もが気にしないこと
でしょう。

 架空の建物、場所であっても、全体像の設計は必要なのですよね。
これまた逆説的に言えば、ロケーションハンティングで使う建物が現実に
いかなる構造であっても、違う場所に自由に見せることができるわけで。

 まあ、このように。

 もう、とにかく映像作りを専門に勉強したことがあるわけでもないし、
看板・サインの実地経験や奇術の知識などはあれども映像のセット作り
なんかしたこともない素人のこのわたくしでさえも、「これはだめ!
これやっちゃだめ!」とハラハラしてしまう点がはじっからはじまで
てんこ盛りなのです。その他、演出、お芝居、構図、物語構成、小道具
衣装、役者選びの方法からなにからなにまで。

 かのエド・ウッドも映画が好きで好きでたまらなくて、とにかく作りたい
人だったそうです。でも彼は失敗しました。「物語を作りたい人」でも
なく、「映像作品を完成させる現実的職人作業がしたい人」ですらなかった
からでした。彼にとっては、映画というものそのものを作って、映画館で
上映すること、その行為が目的だったからです。水野晴雄氏にも、なにか
共通する部分があるような気がしてやみません。その為、生まれ出た子は
親の因果が子に報い、哀れ見世物小屋のフリークスとなってしまいました。

 ですからかような悲劇を繰り返さないためにも、ぜひとも映像を志す
皆様には必ず隅から隅まで目を通していただきたい。これは金字塔的
作品と言っても過言ではないでしょう。地面の中に向かってさかさまに
伸びてゆく金字塔ではありますが。きっといい教科書になります。
演劇を志す人、漫画を描く人、物語を書く人にもお勧めしたい。一度は
冷静にじっくりと観て、そしてあとはしまっておくか飾っておいても
構いません。そんな作品なのです。

 あとは不覚にも閣下にラブを感じてしまったら、好きなだけ観て下さい。
そこから先の価値は、あなたにとってのかけがえのない宝石です。

 色々な意味でシベリア超特急をお勧めし、同時にお勧めしない本文。

 あなたのハートには、何が残りましたか?

 気になります。



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