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奇跡の融合(エマージョン)のリ・マージョン。 [Webラジオ]

 ロコミパワー!

 と無駄に昌鹿野編集部のキーワードを唱えて、たまに検索している
という鹿野さんを召還!

 まあそれは置いておきまして。

 ダブル高橋ですわよダブル高橋。電波 de リ・マージョンのお話。

 とても安定していました。不安定なところがすごく安定していました。
理恵子さんのうろおぼえパワーが大炸裂です。凡コメントで流しながら
唐突な事態に「は?」と一瞬巣に戻ってつい黒いコメントを出してくる
美佳子さんの普段には聞けないトーンのトークもお変わりなく、これは
まさに奇跡のリ・マージョンのできるパルであると言えましょう。

 ラジオずれしていない人とどっちかというとアニラジ慣れしちゃって
いる人とのコンビ。年齢差もありますが、どちらかというとこういった
理由でこのパルは面白さの化学反応を引き起こすのでしょうね。定型に
なりそうな流れに思っても見ない直球が飛び込んでくる感じ。

 アニラジ関係を多く聞いていると、しょうもない定型文や常連投稿者
(投稿マニア)の決まり切った話題、例えばそれいつのセンスなんだ
どう聞いても1960年代くらいのナウなヤングが言いそうなドッチラケの
「番組の挨拶(これがまたセンスがダサい!)を決めましょう」や
「番組のなんとかネーム(背筋がカユくなる)」「パーソナリティーの
番組内愛称を(馴れ馴れしい上に古臭い仇名ばっかり)」などを始め、
お決まりの大学コンパ芸系の似たようなコーナー、若年者を装った態の
学校時節柄ネタの嘘投稿、ニュースサイトから引っ張って来た話題の
オンパレード、ただのベタベタヨイショ、などなど(死語たっぷりで
お送りしております)が大変横行しているような気がいたします。

 これは構成作家やプロデューサーなどの業界内人数が非常に少なく、
加えて大量の番組が平行して制作されているのも原因の一つではあり
ますが、なによりもそれに従って読み上げを続ければ「楽である」、
というのが一番の要因かとも思えてなりません。話題に困ったらば
ファンレターの読み上げ、話が膨らまなかったら音楽を流し続ける、
笑わせたり関心を引けなければ投稿に任せる、見事に規定の尺は
埋まり、そうすればとにかく番組は形にはなります。

 しかし。それは面白いのでしょうか?

 構成をする側のそういった苦肉の策、立ち上げ当初の設計図だけに
そのまま流されているパーソナリティーは、大丈夫なのでしょうか。

 わたくしは常に思います。本来であったら、コーナーも投稿ネタも
なくてもよいものだ、と。

 パーソナリティの方も生身の人間です。マサヤング師匠もキレて
おります。「人一人の人生にそんなに毎日毎日仕事であっちこっち
違う事話してネタ切れにならんほどおもろい事なんて起こるかい!」。
そういったところを補助するために、話のきっかけ、記憶の掘り下げ
のためのトリガーが必要になるわけで、企画も投稿も長く番組を続け
るための負担軽減措置としては必要だとわたくしも思います。

 ですが、突き詰めた理想論の上では、パーソナリティーが回す話が
単独で面白く続けられるなら、もうそれこそが楽しいわけですよ。
おもろい人の話が聞きたくて音声メディアを娯楽として選んでいるの
ですし、特定のパーソナリティの「話題を膨らませる才能」に惚れて、
番組タイトルが変わってもファンがついていくものですし。特に、
番宣目的で寿命が短い番組の多いアニラジの世界では、そういう経緯
でパーソナリティーに惹かれてそのまんま冠番組にも興味を持つ人は
多いはずです。

 コーナーなどいくらふっ飛ばしてもよいのです。投稿など、いくら
も読み上げられずともよいのです。それは、わたくしにとっては、
もうどうでもよいことなのです。

 それでも、わたくしはまだ、シビュラなのでしょうか。

 間違えました。

 シビュラ・アウレア、お答え下さい。

 「話が面白い人のラジオ」、を求めるのは、罪なのでしょうか。
トークが盛り上がって尺を全部潰してしまうことこそが、むしろ
本来あるべき姿であると望むのは、いけないことなのでしょうか。

 偏った見方だということは承知しております。ですが、とみに
尺が比較的枠に囚われていないWebラジオというものを多く聞き、
長かろうと楽しく聞ける番組を多く聴いて来たわたくしにとって、
もはやコーナーや投稿ネタは、番組を楽しむにあたってあまり必要
を感じないものとさえ思えるのです。

 ファンの交流という側面でのスパイスとしては必要不可欠では
ありますけれども、そればかりを絶対重視することはないのだ、と
わたくしは感じるのです。それは、本当にテンパスパティウムの
意思なのでしょうか?

 こんなわたくしはまだ、アニラジリスナーなのでしょうか。

 などと、ついシムーンごっこをしてしまいたくなるほど、ダブル
高橋に心を百合ゲフンゲフン*揺り動かされてしまったわけなのです。
変化と意外性、不快にならない話口、そして聞き取りやすい活舌と
声質。そして2人の高橋。まさに奇跡のリ・マージョンでした。
もう永久保存版です。電波 de リ・マージョンよ永遠なれ!

 いっそ音泉さんもこの放送プラス新録で Special flight CD を制作
してくれたらいいのに、と思う今日この頃。

 理恵子さんの無残な姿になったパソコンの行く末が気になります。

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サン・ヴィット攻防戦。 [ミリタリー]

 ええ、昨日は大層な雪でございましたな。幸い積もりはしません
でしたが。東京地方とその周辺の県はひさかたぶりの雪が続く休日
となりましたけれども。

 わたくしはこんな悪天候でも戦はせねばならない、という非情の
掟に従って出撃したのでございます。英海兵隊コマンドウは独軍の
突出を阻止すべく米軍の反撃に悪天候を突いて加わったのですよ。

 しかし現地に到着してみれば、結果20人以上が雪景色を楽しみつつ
市街地を見立てたフィールドで激しい攻防戦を繰り広げる、という、
欧州第二次世界大戦モチーフのゲームでは夢のような状況であった
わけなのでした。ボタ雪の降りしきる中、立ち止まって潜んでいれば
みるみるうちに肩にヘルメットに雪が積もり、動きを止めれば凍え、
さりとて下手に動けば危険だし、それでも戦わなくてはならない、と
いう生々しい状況では、水野晴雄閣下の明言が非常に身に染みます。

 「戦争は、いかん!」(棒読みだが力強く)

 思うに、反戦団体系の人とか、ものすごく勘違いしていると思うの
ですよね。

 本物の外国軍を含む軍隊が国中を占領したり、軍事作戦で立ち入っ
たりしてそこいら中をうろうろしていて、やりたい放題に暴れている
だとか、軍事政権の圧政下にあるわけでないから、古い軍服をお遊び
で着たり、本物の銃器の脅威にそんなに晒されていない社会だから
こそ、おもちゃの銃で撃ち合ったりする遊びが安心してできるわけで。
サバイバルゲームをやっている人に「軍国主義反対!」だとか抗議を
したり、「汚らわしい!」と突っかかるそのテの人達は、ものすごく
見当違いの事をしている自覚がないように思います。

 代償行動なのかとも考えられますけど。本物の銃を持った軍には
怖くて抗議したり喧嘩売ったりできないけど、そうでないとわかって
いる似たような姿を好むくらいの反撃して来ない一般市民には因縁を
つけて溜飲を下げる、のような。

 本当に軍隊の脅威に抗議したいなら、敗戦以来未だに日本を占領
して実際に多数の軍事基地を持ち、兵隊が街に繰り出して占領国特権
で乱暴狼藉をしたりしているアメリカ軍に抗議に行けばいい筈ですが。
日本中のどこでも、地域の詳細地図とか見れば一目瞭然ですよ?
あなたの住んでいる場所にも、割と身近に米軍管理施設というものが
転々とあったり、大きな基地があったりします。軍事上そこを利用
できればおいしい場所、例えば通信中継施設を作るのに便利な山頂、
航空航法関係、補給端末、元々旧軍が使っていた飛行場、軍港施設。
それに文官が勤める施設類など、それはもう多岐にわたって日本の
国土を立地の条件がよい所を優先的に好きに利用していたりして、
身近に米軍さんだったらいくらでもうろついているんですけどね。
そっちに抗議というか因縁をつけにゆけばよろしかろうに。別に
沖縄まで行かなくてもご近所でお気軽に抗議活動ができますよ?
と教えてあげたく.......というか言い返してやりたくなります。

 ミリタリー趣味の業界の人達にも、エアガンメーカーなどにも、
むしろ声を大にして自信を持って主張していただきたい。

 「サバイバルゲームこそが、平和の象徴です。」

 平和だからこそ、シミュレーションの世界で戦争ごっこができる
のですよ。

 その上で襟を正して、自分を律して、実際の暴力を憎み、戦争を
憎んでいればこそのサバイバルゲーム。それに「軍国主義の片棒を
担ぐつもりか!軍靴の響きが聞こえる!」などと攻撃するのは、何かが
根本の部分で間違っている気がいたします。

 まあ確かに軍靴の音は聞こえるでしょうけれど。実際に履いてるし。

 濡れてしまったDMSアンクルブーツの乾き具合が気になります。
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Simounが吹いた日。 [アニメ]

 もう、5年になるのですか。アーエルとシビュラ・アウレアが
旅立ってから。

 だというのにこの局地的イベントで大盛り上がり。

 U-StreamでDVDを当時のスタッフが実況解説というかウラ話、
それをtwitterで#simounをつけて実況、というニッチな集まり。
盛況でございました。

 続編は望んでないけれども、シムーンが語り継がれることは
本当によいことなのではないかと思っております。風化しない
作品なのですよね、これ。

 さて来週のダブル高橋登場が気になります。
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民と菜種はと支配者側は言うけれど、絞っちゃったらもう菜の花は芽吹かないのよ。 [雑記]

 さーて少々ぶっきらぼうながらお堅いことを申しますわよ?

 昨今とんでもない権威の失墜振りが嘆かれる民主党政権ですが、
まあ旧社民党と旧自民党派閥主流争い分裂組がかなりの数を占め、
政権を取った途端に官僚に尻尾を振って利権によだれだらだらに
なるのが目に見えていたので、わたくしはそんなに驚くには
あたらない、と民主党建建党の頃から思っておりました。

 それよりもむしろ現状で恐ろしいのは、私的利権と国家財産の
私物化、法を作るだけが目的の公益性の無い立法に汲々とした
歪んだ官僚・公務員組織どもが数々の「政治の弱体化」を仕組み、
国家運営の足を引っ張ることに次々と成功してしまっていること
だと思っております。自衛隊などよりもよほど性質の悪い暴力
代執行組織である警察、司法、行政などが、個人の生殺権を
立法の悪用で次々と握り、恐怖政治をこの日本で敷く日がよもや
わたくしの生きている間に現実に出現しようとは。NSDAPが
どうやって第三帝国を作り上げたのかを思い返すと、それはもう
背筋の凍るような思いがします。近代社会において、国家に
住まう人間の権利を踏みにじるのに一番手っ取り早い手段を
持っているのは、軍隊よりも実はその「国家体制の運営・維持
に関わる代執行機関」の方で、NSDAP(ナチ党)はまずそこに
シンパを求めたり、深く食い込んだりしたものです。

 そうやっておいてから国法をいじくり、企業を優遇すると
言えばお金大好きな大資本家はこぞって資金援助をしますし、
大国家事業・大公共事業をブチ上げれば大規模事業は規模の
大きな企業体にしかできないので自動的に彼らの儲けになる、
という仕組みができあがりますから、事業規模の小さな商売
は隷属するか潰れるかしかなくなり、カルテルや財閥が幅を
利かせてますます国家は窮乏します。官僚機構はこの世の春
を謳歌し、さらに法とシステムをいじくって弄ぶ。勧進元が
儲かれば自分も坊主丸儲け、とばかりに資本の巨大化へと
手を貸し、膨れ上がってゆく書類上の規模に満足してゆく
ことになるわけですが.......。

 歴史の失敗例がいくつも物語っています。国家の活力は、
資本家の肥大した資金力の数字、企業の業績だけが膨れ
上がってもちっとも向上しないのです。

 なぜか。ものすごくひらたく申し上げましょう。

 お金が大好きな人は、お金を払いたがらないからです。

 つまり、国家という体制にもできうる限りお金を出したく
ない、と考えるからこそ、本来国家を運営するためだけに
その使命があるはずの国家機構そのものと結託し、賂などを
送っている輩なのですから、最初からその利益理念が健全で
あるわけがない。彼らは自らの目先の贅だけが目的ですから、
当然、国家の将来や現在起こっている問題なぞどこ吹く風。
税金なぞは自分以外のその他大勢が払えばよろしい、とこう
考えるわけです。

 そしていくら一個人、一企業体が莫大な利益を上げ、資産
を築いたとしても、その額面上のお金はたいした価値もあり
ません。

 なぜなら、流通しないからです。

 例えどんなにすさまじいお金持ちだとしても、その持てる
全ての財産を常にビタ一文残さず常に使っては儲け使っては
儲けすることなどありません。大半は資産として死蔵される
ことになるのです。

 だからと言って収奪者から収奪して再配分しろ、などという
レーニンのおじさまみたいなとんでもない事を言い出すのは
まあ冗談にもならないお話ですが、これは貨幣経済に基づいた
近代社会では実に国家の基礎によろしくない現象で。有り体に
言えば書面上の国家全体の資産を書類上のお金の額面にしたら
大層でも、ほとんどが「死に金」になってしまうわけですね。
当然、公共利益のためにあえて不利益・不採算であっても
運営しなくてはならないものに国民として供託するべきもの、
「税金」の収入も実態としては減ってしまいます。なぜなら、
その資産の大半が流動・還流しないから。

 そうなった頃には、歯牙にもかけられなかったその他大勢
扱いの大半の国民はどうなるか?

 じりじりと、じわじわと貧乏人になります。

 地道に利益を上げるには薄く広く取れ、は真っ当な商売人の
基本的心得ですが、その薄くあるべき純利を無理に広く取ろう
とすれば商売ならばたちまちのうちに傾くことでしょう。

 そしてそれをもしも国家がやったとしたら、国が傾きます。
公共の利益へ支払うお金と個人の生活のお金のバランスが崩れ
たとしたら、人は自らの環境、場合によっては生殺を賭けて、
生存本能と幸福への欲求に従い、自己防衛へと走るのがあたり
まえですから、その「薄く広く」の源すら枯渇するわけですね。

 大河の源も一滴の湧水からはじまり、寄り集まってこそ大河
となるのが森羅万象の理。貨幣経済とても、その真理からは
逃れようもないのです。たとえどんなに数字をいじくってみたと
しても。満々と水を湛えた湖沼はある意味美しいものですが、
留まらず流れ行く大河のエネルギーは失われてしまうのです。

 ブルジョワエリートによる国家統制経済を夢見る官僚共は、
いっぺん河口の泥を漁ってしじみでも掘って売ってみたら
よろしい。どれだけの質の物に、どれだけの値段をつけたら
売れるのか。どれだけの労力がその価値に見合うのか。数字を
つけることの恐ろしさを、身を持って味わってみるがよろしい。
百万の論文を孫引き・引用するより遥かに解りやすくて、かつ
経済の勉強になるというものだ。労働力はタダではなく、絞る
にも人間的幸福の限界点を越えれば絞り粕どころか腐った毒と
なる。人件費をケチり、挙句に収入の全てを公共費と税で奪え
ばその毒で必ずそやつの立っている場所の床板が抜ける。国を
滅ぼす行為はおのれの孫子の代に必ず祟るであろう。なにしろ
この国は圧政に泣き寝入りを続ける日陰者が、ある日突然に
発狂して反動で暴力によって国家体制を転覆させることを
延々と繰り返して来た国なのだから。ぬしらもゆめゆめ夢幻の
栄華に溺れるなかれよ。徳川の世がなぜ300年の安寧を保ちつ、
いかにして官僚主義の滞留と共に崩壊したかを思い返せ。

 と、わたくしは非力な虫けらのような一国民として、かように
うそぶいておこうと思うのですよ。

 ああ、働けど働けど我が暮らし楽にならざり。

 ぢっ、と手を見る。

 ささくれが最近ちょっと痛くて気になります。

追記。

 長年の支配体制での既得権勢力、マスコミ・官僚組織・財界と
結託して、現政権の体たらくを必死に口汚く罵り、足を引っ張って
国家運営をないがしろにしてまでも有頂天になってはしゃいでいる
自民党、公明党の者どもよ。

 民主党がダメだからと言って、その代替者に選ばれるのは
決してお前らじゃないんだぜ?

 なぜ政権を追われたのか、もういっぺんようく考えろ。
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知らない人が来たから隠れたのだよ、きみ。 [アニメ]

 戸棚に隠れちゃう妖精さんかわいい。

 それにしてもラグーン商会も手広いじゃねえか。ソビュールまで
お出かけたぁ結構な商売だが、早いとこロックに知らせといた方が
いいかも知れないぜベニーボーイ?あの鉄砲玉のこった、気付いた
らケサンがピクニックに思える程の騒ぎを起こしかねねぇぜ?

 まあそれは置いておくとして。

 アニメ版しか見ていないので正しいかどうかわからないのですが、
わたくしやはりアンジェリカさんはエルキュール・ポワロ的であると
重ね重ね思う昨今なのでございますよ。

 よく似ています。探偵役本人があまり活動的ではない(腕っ節が
強くなく体力も犯罪者には劣る、インドア嗜好など)ハンディを、
足を使う相棒が補佐して情報の端切れを集めるところとか。

 推理に大穴が開いてるところとか。

 いえ、別に非難する意味ではないのです。これがまた実にアガサ・
クリスティー的である、という意味で。

 実はわたくしめは割と古めの海外推理小説を多くたしなんで来て
いるのですが、アガサ・クリスティー女史の作品が少し苦手だったり
するのですな。それはなぜかと申しますと。

 ちょっと回り道をしてご説明申し上げましょう。

 クリスティー女史が名を馳せた時代。当時は探偵小説が大流行した
時代で、特に「Who doit」(フーダニット)ものが大衆のお好みと
されていました。すなわち、荒唐無稽なトリックやオチの読めない
どんでん返しがあれば、いやむしろそれさえあれば多少の無茶苦茶や
論理的整合性がなくてもアリ!な感じがウケてます的な時代だったと
も言えます。そのため、クリスティー女史の描かれたベストセラー
探偵小説にもよくよく読みながら考えてみると色々とおかしな点が
あったりするのですが、同時代の探偵・犯罪小説にはそういうものが
多かったので、あまりそこはツッコミを入れるべきところではなく、
むしろそういうジャンルの中でクリスティー女史が文才を発揮して、
ものすごい数のライバルの中から抜きん出て現在まで読み継がれる
作品を書かれた、ということを素直に褒めるべきところでしょう。

 しかし。

 私が少々苦手に思う部分は、実はそこだったりします。

 推理を行うプロセスに、無理があるのです。

 例えばポワロはヘイスティングスやジャップ警部の伝聞、新聞記事の
内容や若干の現場検証などが描写されると、途端にクスクス笑いながら
「ポワロはなんでもお見通しなのですよ、mon ami」と言い出して、
次にはもうフーダニット特有のネタバレご説明大披露シーンへと続く
ことが多く見受けられます。灰色の脳細胞でなんでも解決みたいな。

 しかし、重ねながらしかし。

 「どうやってそれを知った?」「そう答えが導き出される理由は?」
がすっぽり抜けている部分が多いのですよ、mon ami。

 ポワロが長々と説明している解決編をようく読んでごらんあそばせ。

 さも事実であるように語ってはいますが........いや物語の構成上、
「なっ、なぜわかった!?」とばかりに犯人が認めてしまうからまあ
物語上の事実にはなるのですが、「ねえねえそこの卵形のはげ頭の
ちょび髭の小男のベルギー人のおっさん、それどうやって知ったの?
導き出された答えの基礎情報はどっから仕入れたの?ていうかそれ、
現場で見てないとわかんないよね?」のオンパレード。これぞまさに
ミステリー。そこんとこの説明が一切なかったり、隙間風が通る隙
どころか阿蘇山大噴火口くらいの大穴が開いていたりするのですね。
それでもポワロは、なんでもお見通しなのですよ、とクスクス笑いを
浮かべて誤魔化してしまいます。

 「事実を知っている事を前提に主観で話している人物がいる」
これは、物語を構成する上で陥りがちな罠だったりします。ラノベ
などによくある状況・設定説明長セリフなどもこの一種ですね。
本来であったらさらっと読んで頭に徐々に蓄積されてゆくように、
ト書きではなく文で描写・活写してゆかねばならないし、それの
積み重ねや流れ、空気作りがあってはじめて後に「ああ、そうか」と
納得できたりするようにせねばならないところなのですが。それが
足りないところを口で説明させて尺を取りはじめたら最悪です。
興醒めもしますし、何よりくどくどしい。しかも大抵、描写の薄い
ところを「だってこうだったんだもん!」と言い張らせることに
よって無理に収める方向に進むため、よくよく考えるとおかしな
ところや都合のよい後付け説明だらけになりがちです。

 だから後に「隅の老人」シリーズなどに代表される(クリスティー
女史自身も同じような構造をした作品を書いていますが)、「主観で
語っている本人が犯人」、「全てが語り部のミスリード」というのが
成立してしまう危うい部分がすごく多く見受けられるわけで。つまり
提出された論理の組み立てに穴が多く、物的証拠が乏しいのですな。

 そこのところにフラストレーションを感じるタイプの読者の方は、
やはりクリスティー女史の作品を苦手とされるようです。かくいう
わたくしもそのタイプで。

 しかし、みたびしかし。だからと言って嫌いになったり攻撃したり
することはありません。なぜなら、クリスティー的作品の魅力は、
幾千のはやりものの激烈な濁流の中から頭一つも二つも抜きん出て
いた、とても大事な部分にも拠っているからです。

 そう、なんだか読んでいて楽しくなってしまう軽妙な語り口(文体)。
そしてなによりも、「キャラ萌え」、でしょう。

 女史はそこのところが大変お上手で、登場人物が実に憎めない人
揃いだったりして、読んでいてそれだけでも幸せになれます。上記の
エルキュール・ポワロ氏もたまにイラッと来る変な小男ですが、時折
見せる茶目っ気やなんというか可愛らしい言動で、実にいいキャラに
なっていますし。その姿を物語と共に追ってゆくだけでなんだかもう
楽しくなって来るのがよいところで。

 なればこそ図書館の金色の妖精も、実にクリスティー的人物だと
わたくしは思ったりしたのですよ、mon ami。

 だから推理の事実関係を多角的検証して正誤を正す、などという
瑣末なことはどうでもいいのです。いや本来は探偵ものの一番大事な
鉄の掟ですけど。わたくしにとっては、もうどうでもいいのです、と
ネヴィリルくらいりりしく言い放ってみたい。

 金色の妖精と春に来た黒い死神が微笑ましい姿を見せてくれるなら、
もうわたくしはそれで。それで十分なのです。

 何が言いたいのかわけがわからなくなって来ました。

 つまりだね、きみ。

 碧ちゃゲフンゲフン*ヴィクトリカちゃんかわいい!

 こんな結論でよろしかったでしょうか。

 なぜ九条君が歯応えの固い菓子ばっかり持って来るのか、それは
果たしてちょっとした意趣返しのつもりなのか。次に彼が持ってくる
菓子が気になります。
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なんだとう!? [Webラジオ]

 「電波 de リ・マージョン、1回限りの奇跡の復活!」!?

 シムーンDVDボックス発売記念ですってよ奥様。大変ですわよ?
あのダブル高橋が帰ってくるのですよ?

 果たして早口ネヴィリル百連発とか大量に投稿されてしまうのか。
そして高橋理恵子さんはキャラ設定を忘れてはいらっしゃられないか。
奇跡のダブル高橋のリ・マージョンが再びわたくしたちの前に!

 踊らないか?

 気になります。
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婚后光子さんがいないとブログが進みませんの。 [アニメ]

 検索ワードをたまに見ると婚后みっちゃん関係の多いこと多いこと。
気になっている人が多少なりともいるというだけでも嬉しくなります。

 最近は図書館に住むババくさい口調のだだっ子が気になっています。
シャーロック・ホームズというよりあれはグラナダTV版のエルキュール
・ポワロ(熊倉一雄吹替)の雰囲気な気がするのですが。パートナーを
始終小馬鹿にするような口調でおちょくったり、知識をひけらかせて
揚げ足を取ってクスクスと笑っている割には、問いかける時の呼称は
「九条、きみ」。ポワロがよく言う「mon ami(親愛なる友人よ)」、
っていうアレですね。そういえばホームズもワトソン医師に「my dear」
と呼びかけることもありますが、別にホモやBLなどは関係ありません。
人同士の親愛の情を割と外国の方は素直に言葉の端などでも表現する
習慣があるだけです。

 まあ脱線しましたが、デビッド・スーシェ氏演じるポワロと悠木碧
さん演じるアンジェリカとはなにか雰囲気が通じるものがあるような
気がするのですよ、きみ。

 あんなに雪山が目の前に見える麓に建った石造りの塔上の建物の
最上階に住んでいてこの季節は冷えたりしないのか、そんな場所で
ごろごろしたら寒くないのか、と大変気になります。
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ああっ、みっちゃん!? [アニメ]

 昨日のことなんですけどね。

 とりあえず土壇場の大掃除を終えて、夕餉の後にとある科学の
超電磁砲OVAをですな、画面を見ずにオーディオコメンタリー
だけラジオ代わりに流して聞いていたんです。

 前に聞いた時はそんなに注意して聞いていなかったせいなのか、
はたまたながら作業で音源を聞く時に時折起こる、ふとした拍子
に集中力が途切れたタイミングに耳に入ったポイントが記憶に
残ってしまう現象が起こったのか、ラスト近くのクロストークで
ある重要なイースターエッグがある、というのを今さらながらに
聞き知ってしまいまして.........。

 外からのトークバックへのリアクションとおぼしき反応で、
新井さとみっこが「えっ?婚后光子!?オープニングにも写って
るの?どこどこどこよ?」とおっしゃっていたではありませんか。

 なぜ、こんな重要な(主にわたくしにとっての)情報を聞き逃し
ていたのでしょう。これでは婚后さんのご両親にもオーディエンス
(主に使用人さんたち)の方々にも顔向けができません。一大事、
これは探さなくては婚后光子ファンとして面目が立たぬ!とばかり
にわたくしは早速オープニングを見返し、挙句にコマ送りにして
目を皿のようにしながらその御姿を探したのでございます。

 .........見つかりません。

 おかしい。そんなばかな。全てが人の手で書き込まれている
要素以外は存在し得ないアニメの空間で、幾らなんでも人間の
シルエットは見つけられない程存在感がないものでもありません。

 これはおそらくトリックアート的ななにかが仕組まれているか、
一種の意識の盲点に隠されているのかも、と考えまして。そこで
わたくしはこの灰色っぽい脳細胞をフル回転させましてですね、
推理しながら再びオープニングを見返してみたのですよ、Mon ami.

 今回のオープニングのコンセプトは8mmフイルムカメラで
お互いを戯れに撮影しあうお嬢様方。しかしよく見て考えて
みると、4人がいちどきにフレーム・インしているシーンが
結構あります。三脚を立てている、とも考えられますが、まあ
お若い方にはわからないでしょうけれども、銀塩フイルムの
カメラはビデオテープやHD、シリコンメモリー記録のカメラ
のように後でいらないところを消して撮り直したりはできず、
フイルムロールの全長までしか記録できないもので、しかも
その分数もあの手持ちのシングル8のカセット式だったらば
15メーター巻き、わずか2~3分程度しか撮影できないもの
なので、あのように三脚に固定してから回しっぱなしにして
談笑する暇などありません。

 しかも、撮影しているカメラの側に明らかに視線を向けて、
表情を作っているような描写があるではありませんか。

 しかるにしてこのような点から、わたくしはいつもの4人
以外の撮影者がいるのではないかという推理を組み立てて、
さらに思考を巡らせてみたのです。

 オープニング映像の中では、御坂おねえさまとあの変態、
お花おばけと佐天さんが相互に8mmカメラで撮影しあって
キャッキャウフフする姿が見受けられます。と、いうことは。
もし、第三者ならぬ「第五の人物」がこの撮影会に存在して
いるという推理が正しいのなら、その人物も当然その4人の
中の誰かが戯れに撮影しているはずで.......。

 あっ。

 フイルム!

 ついに見つけました。いやぁほんとにいましたみっちゃん。
どことは具体的に申しませんけれども。

 っていうかここまで説明してしまってはほぼ言ったも同然
なような気がしますがそれは置いといて。

 それにしてもひどいですわよねぇお姉様ったら。あの編集は
ちょっとかわいそうですの。

 まったく、被写体を常盤台の婚后光子と知っての狼藉かしら?

 その後、よもやエンディングにも隠されているのではある
まいかと思って必死に探しちゃったのはヒミツ。

 婚后みっちゃんへの制作側の愛の深さが気になります。


 


OVA「とある科学の超電磁砲」 [DVD]

OVA「とある科学の超電磁砲」 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
  • メディア: DVD



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そして再びのリ・マージョン [アニメ]

 奥様、シムーンですわよシムーン。

 なんとお手ごろ価格なDVDBOXが発売になるそうですわよ?

 シムーンの母、ことキャラデザインの西田さんのblogで知りました。
また、あの「少女の時代」を思い出すことになるのかと思うと、とても
感無量なものがあります。ていうかまたDVD持ってるのに買うのか、と。
そのつもりでもよろしくってよパライエッタ。

 なにか新作映像特典でもつかないかなぁ、と大変気になります。




EMOTION the Best Simoun(シムーン) DVD-BOX

EMOTION the Best Simoun(シムーン) DVD-BOX

  • 出版社/メーカー: バンダイビジュアル
  • メディア: DVD



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高らかに鳴り響く伊福部マーチ。 [アニメ]

 ダブルオーの劇場版をDVDで拝見しまして。

 うむ、重ね重ねもったいない。これに.......「ガンダム」、の冠が
ついてしまっていることが。

 普通にオリジナル企画だったら、色々変ないいがかりつけられずに
みんなが楽しめたのではないかと少々残念に思っております。よい
出来なのですし。

 まあそれはともかくとして。

 宇宙での大迎撃戦シーンを観ている最中、なぜかわたくしの脳裏に
ですね、勝手にBGMが高らかに鳴ってしまうのはどうしたことでしょう。

 あれです、あれなんですよ。

 東宝特撮大スペクタクル巨編の、あれ。

 そう、「地球防衛軍」のマーチ!

 ミステリアンドームとの最終決戦でかかっている、あれなんです。

 地球人類が総力を挙げて、自らの生存をかけた大決戦に挑む、という
決死の思いと力強い反撃のシーンには、やはり勇壮なマーチがぴったり
だと瞬時に思ったからなのでしょうか。

 忍び寄る宇宙からの謎の侵略者。続発する怪事件。そして怪生物出現!
対策本部が設置され、政治家と軍人が苦悩し、ついに現れた脅威の本体
に対抗すべく、人類は一大決戦に挑む!避難する市民、見送る人々、
その期待と不安を一身に背負って、進撃してゆく我らが地球防衛軍!
超科学の結晶、新兵器登場!果たして倒れるのは、人類か?それとも
宇宙人か?宇宙を揺るがす驚天動地の大スペクタクル巨編!

 と、このやうに箇条書きにしてみると、ダブルオー劇場版はわたくし
のような年寄りが年少の頃に親しんだ「東宝特撮映画」や、アメリカの
怪生物・宇宙人パニック映画のフォーマットに沿っていて、そんなには
違和感を感じずにすんなりと楽しめたのであります。

 いわんや、心の中のどこかが伊福部マーチを求めてしまうのは、もう
必然とでも申しましょうか。今度実際に流しながら見てみようかと。

 ラストの花のオブジェは、TVシリーズをちゃんと見ていればそんなに
唐突には感じませんでした。思考体系の違う生物との遭遇、というのは
SFの世界では古くからあるテーマなのですが、歩み寄ろうとした段階に
どちらの思考へ一旦寄せて試行錯誤を始めるのか、というのは、とても
思考のシミュレーションとして面白いお題です。

 さてさて、またまたありもしない事を想像してみましょうか。実際の
設定と合っているかどうかはともかくとして、やってみましょう。

 最初、木製軌道上で探査船の乗組員を初めて取り込んだELSは、金属
ベースの集合意識生命であるがため、最初のコミュニケーションに物理
的に失敗してしまっています。意思を交わす前に、方法を間違え相手を
即死させてしまったことにより、体の組成と仕組みは理解できましたが、
どう意思を伝えてよいのか、ここではわかっていません。

 次に彼ら.......というか、個体の切り分けという概念すらわたくしたち
と同じようにあるのかどうかすら判りませんが、ELSの皆様ははじめて
遭遇したタイプの炭素系酸素呼吸生命体を調査することにします。今度
は地球人の体に似せた姿を作り、なんとか意思交換の第一段階をクリア
しようと試行錯誤するわけですね。その姿で、探査船の機械側が記録し
ていた母星へととりあえず向かってみることに。幸い、そこは銀河の果て
ではなく、この恒星系のほんの内側の距離にありました。自分達だけで
直接飛んでゆくより、この生物が乗っていた乗り物を使ってゆけばより
話は早く済むのではないか、と判断したのかもしれません。

 探査船が地球からの別の乗り物に遭遇した時、いきなり攻撃されたの
には彼らもびっくりしたでしょう。まあ地球側からすれば、誰何応答を
繰り返しても何も反応がない、数世代前のばかでかい木星探査船が突然
事故なのか偶然なのかわからない状況で地球目がけて突き進んで来るの
ですから、物理的な障害物、天災として排除をするのは当然なのですが。
乗っているELSさんたちはたまったものではありません。金属の身の上
なので相手には物理的構造物と区別がつきませんし、コミュニケーション
方法も知らないのでやめてくれと頼むこともできません。降りかかる
火の粉は自らの力で振り払わなくてはならず、ここに第一次遭遇戦と
相成ってしまうわけです。

 さて、破片のような態でとりあえず何を逃れ、地球を目指したELSの
先遣隊のひとたちはさらに慎重になります。うーんどうしたもんだろう、
言葉わっかんねえしなぁ何食ってるかもわかんねーしなぁ、ていうか
ここどこなの?超なんもないとこなんすけど?とか考えてたかどうかは
わかりませんが、なんかここの生命体が移動に楽そうな乗り物でやって
来たのでとりあえず拝借、その場での争いは避けて群体がいる場所へと
各個体で三々五々観察に向かうことにしました。どのように暮らして、
意思を伝えているのかを確かめるためです。

 しかし、この惑星の大気を震えさせて、振動の高低で意思を伝える
最も一般的な手段を使うには、相手の言語、習慣風俗を知らなくては
単なる音になってしまいます。進退窮まったELSさんは、ある段階で
全ての人類ではないが、その中の三割くらいの個体から放射される、
自分達にもコミュニケーション手段としてある程度使える「脳量子波」
と彼らが呼んでいるものを感知します。

 ほら、外国とか行って困ることってよくありますよね。例えばまあ、
おトイレに行きたいっていうのにトイレってなんて言っていいかすら
わからない上に、どこ、そこ、っていうのすらわかんなくて必死で
相手に伝わりそうな手段を試行錯誤して筆談したり絵を描いてみたり、
身振り手振りしたりすることが。もう切羽詰って伝えられる手段が
あるなら何でもやってみよう、みたいな感じの。あとなんか話通じ
そうな敵意のなさそうな人とか同じ人種っぽい人がその場にいないか
必死で探したりしません?

 そんな感じでなんとか話聞いてくれんじゃね?という相手を探し、
ELSさんたちは次々とアメリカンネイティブなら友好のパイプを
回し飲みするような親愛の行為を、脳量子波を放出している人々に
行おうとします。ELSさんたちにとっては接触融合が意思疎通に
必要な最初のステップですし、前回の木星軌道上での失敗経験から
体の構造は同じではないことが解っているので、今度からは相手が
どこまで融合に耐えられるか、慎重に試しながら経験を重ねてみる
つもりでした。

 しかし、生命体としての生死の形も違っている、というところ
まで理解するのは、相手とのコミュニケーションが断絶したままの
状態では不可能でした。この、「とりあえず話しかけてみよう」
作戦も一連の怪生物による敵対的襲撃事件として終わってしまい、
ELSさんたちはいよいよもって人類に敵として攻撃される対象と
なってゆきます。さあこれでさらに進退は窮まりました。木星の
近辺には分遣隊も呼んでしまっていますし、相手はそこを目がけて
どうやら総力を持って攻撃してくるようです。生き残るためには、
反撃するしかなくなってしまいました。

 その一大決戦の最中、ソレスタルビーイングのゆかいな仲間たち
と地球連邦軍のみなさんに後押しされたせっちゃんが脳量子波全開
状態で意識集合体の間近まで突入して来ます。

 ELSさんたちはもう藁にもすがる気持ちだったでしょう。ああ、
やっとぎゃー!とかひぃーっ!?とかうわキモいこっち来んなとか
じゃなくて、「誰なんだお前は?まあとりあえず話があるから」
って、とりあえず伝わる通信手段を使って言ってくれる人が現れた
んですから。彼らは必死に、イメージの交換をはじめます。

 ええとそれ、その、なんですかねぇ、あなたの方ではなんていう
んですか?その、殺し合いっていうのか戦わないっていうのを、
そうだなぁうまいこと説明しようにも言葉がなぁわかんねえもんなぁ
ほら、平和とかそーゆうの、ハト?ハトってなんすか?なんかこう
三次元的に動くそちらの星の生物とか知らないんすよマジで、とか、
描写はされませんでしたがELSさん側からも代表的なイメージの
数々がせっちゃんに投げかけられて、すさまじい速度で模索されたに
違いありません。

 その渦中で、必死に殺し合いをやめたいと願うせっちゃんの送る
自分の記憶のイメージの中から、ある象徴的なものが形になります。

 そう、ダブルオーのTVシリーズを通して見ていたならおわかりに
なりましょう。

 「花」、です。

 アザディスタンの荒野で少年兵として荒んだ暮らしを送っていた
頃から、せっちゃんにとっては戦いと離れて存在するもの、の象徴
として花が意識の中にあったのです。それは、物語全体の中でも、
幾度となく暗喩表現として表わされていました。平和を表現する
ものとしての花のイメージは、ここでまさに開花するのです。

 ELSさんたちは考えました。せっちゃんの表現したこの形は、
まあ正体はわからないけど敵意のないことを示すためのひとつの
言葉になりうる、と。彼が望む、争いを駆逐する象徴となれる、と。
そして集合体の全てを以ってして、花のような形へと変形して見せ、
戦闘行為を終わらせました。

 おそらくその際に、ダブルオークワンタと共に量子化していた
せっちゃんは、物理的融合では死に至ってしまうELSさん達との
意思交換の第一歩を乗り越えて、存在が融合したのでしょう。
せっちゃんは俺がガンダムになったどころか、俺がELSでガンダム
だになってしまったのです。つまり通訳者となったわけですね。
そこからはいささか尺不足で唐突に見える未来の描写に進むのは、
容易に想像できます。人間の生命活動の尺度では数十年は長くて
も、ELSのような金属集合体生命にとってはたいした期間では
ありません。宇宙のあちらに、地球のこちらに、と八面六臂の
活躍で通訳をこなして、ようやく戻ることができたのが、あの
マリナ様の晩年にあたる頃だったのでしょう。もしかすると、
意識集合体的な概念では、わたしたち人類の方では個体それぞれ
の意識が独立していることがあたりまえであるという事が理解し
にくく、説明をするのに手間取っていて仕事がひと段落するまで
なかなか帰れなかったという側面もあったのかもしれません。
まったく、ELSさんたちも野暮なんですから、もう。

 ともあれ、せっちゃんは恋こがれるお姫様の許へとようやく
戻ってゆきました。その後はどうなるのか、それこそは神のみぞ
知るセカイです。でも、これだけは言えます。

 それからお姫様と少年は、幸せにくらしました、とさ。

 おとぎ話のエンディングは、こうじゃなくっちゃいけません。

 まあそんなこんなで、あの劇場版をELS側の事情を汲み取り
ながら多少ありもしない推察をしてみたのですが、いかがで
しょうか皆様。あなたのハートには、何が残ゲフンゲフン*ああ
一本前の記事に戻りそうだったいけねえいけねえ。こんな風に
捉えてみたらあの内容でも、特に唐突でも不自然には見えない
ような気もするのですが。なにかあるとしたら尺不足。だって
外宇宙との来るべき初接触を見据えて、シュヘンベルグ教授
のプランは存在していた、ってTVシリーズでも言われていた
わけですし、宇宙との未知との遭遇で最後を飾るのはしごく
当然な流れな気がするのですよ、わたくしとしては。

 さてさて、こむつかしい話の後には一服の清涼剤をどうぞ。
そう、スカッ!とさわやか!のあのヤロウのこと。

 パトリック・コーラサワーだぜいやっほう!!

 てめえこのニクいよちょんちょん、このぉちょんちょん、
いい男じゃねえかこんにゃろう!ラブラブシーン寸止めとか
かっこいい散り際っぽいけどそんなことはなかったぜ!とか
相変わらずだな大将このぉちょんちょん!nudge, nudge !!

 ほんっとに愛すべきバカヤロウだぜ、パトリック!

 アナザーミッションCDドラマでその愉快な家庭生活などが
描かれることはないのだろうか、と大変気になります。



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ぼんちゃん、いいよいいよー。 [雑記]

 全ての映像を作る作業に携わることを目指す人々に、必ず教科書として
見ていただきたい作品というものがあるのです。

 ええ、ぜひとも。まさにこれはバイブルといってもよろしいでしょう。

 反面教師の。

 映像作りの上での、「これはやってはいけない!」の理想的なまでの
具体例がふんだんに詰まった、輝くばかりの宝石が一杯並ぶ素晴らしい
ショウケース。映像だけではなく、漫画などを志す方にもきっとお役に
たつのではないかと思うのですよ。

 それは、シベリア超特急。シベ超ですよシベ超。

 先ごろお亡くなりになられた映画評論家、水野晴雄さんが晩年に私財を
投げ打って作り続けた、映画への愛情余ってたたらを踏んで床を踏み抜い
てしまったような一連のプロジェクト。つまりその第一弾であるところの、
映画「シベリア超特急」と、「シベリア超特急2」までをお勧めします。

 それ以降まで延々と見るのは多分辛いので。

 もし、貴方が「お昼のロードショー」や「木曜洋画劇場」の全てに寛容
になれて、テレビや日本の映画館で流れる内容がちっともわけわからない
意味不明な予告編の数々に大爆笑できる余裕のある方でしたら、その全て
を味わい尽くすというのも一興でございましょう。あなたのハートには、
何が残りましたか?と言われても怒らないひとでしたら、きっと大丈夫。
でも個人的にはお勧めしません。あくまで自己責任でお願いします。

 以降、昔の記憶なのでちょっとうろおぼえ混じりでお送りしますが、
ご容赦願えれば、と。

 古今東西の映画に大変造詣が深く、愛情を持って語られていた水野氏の
愛すべき語り口と名場面の切り出し具合は、さすがなるほど、ともいえる
手腕でした。だからこそいわゆる批評家世界のライターという不安定な
職種の中でずうっと長きにわたって最前線にいらっしゃることができたの
でしょう。

 しかし。しかしながら。

 あのお方は禁断の園へと足を踏み入れてしまったのです。ぼんちゃんと
のめくるめく禁断のゲフンゲフン*いやそうじゃなくって全ての世界に共通
する鉄の掟を破る、という茨の道へ。

 「批評家は名プレイヤー(監督)になりうるか?」

 これは古くからある論争で、今日まで激しく自称批評家の方々が好んで
続けられているような気がする大変不毛なトピックですが、まあぶっちゃけ
結論は出ています。「absolutely NO」。

 批評だけを続ける人は、最終目標である完成品の一番出来がよろしい部分
だけをつぎはぎして、名作が出来ると簡単に思い込んでしまうものですし。

 本当は、生みの苦しみの上で端から端まで完成させてから、最終的に一個
の創造物として成り立つのが作品なわけで、全てに完璧を求めようとすれば
完成しませんし、労力も時間も無限に消費するばかりでちっとも世に生まれ
ないことになってしまいます。劇創作だけのお話ではないのですが、技術力
や予算、マンパワーと時間などの現実と最大限の努力で妥協し、一旦完品に
して次へ進む勇気が、ものづくりには必要だったりします。

 引用なしにゼロから起こしてモノを作る労力を、多くの批評家は割と軽視
して悪言雑言をぶつけてしまいがちになる傾向がありますが、そこまでその
ジャンルに精通しているというのなら、どういった経緯でどういった制作
手法の現実的な限界でこのようになったかはすぐ判るはずで、その上で全体
のバランスとして面白かったかどうかを語れる筈だと個人的には思います。
読んでいてなるほど、と思わせたり、その作品を見たい、手に取りたい、と
思わせてくれるような批評記事を書かれる方はそこのところがお上手な方で
あるような気がいたしますし。

 しかしながら、そのような業界で愛されて幾星霜、生き延びてこられた
筈の水野晴雄さんが、愛が余ってやらかしちゃったのが本作品。

 深夜上映会でサプライズ登場されたご本人が、熱く熱く語られた各シーン
の「引用元の名画のあのシーン」。レイトショー2本立てだっつってんのに
ご本人が現れて映写場で時間を気にせずに存分にお話しなさるその全ての
文言に、わたくしたち観客の全てが終電の時間など忘れて聞き入り、かつ
大爆笑したものです。

 笑いが起こったのはなぜか。どこに、笑いを誘う「落差」があったのか。
別に嘲笑うとかバカにするとかそういうことではなかった、とだけは今でも
はっきりと明言できます。みんな、水野氏が大好きでした。でも、笑いが
生まれた。それは、「愛ある熱意と現実(の製品)とのギャップ」、だった
のでしょう。

 彼は限られた私財で、自らの映画業界での今までのキャリアと人脈をも
駆使して、最大限の努力をしました。出来上がった作品のキャスト表、
機材資材の質からしても、見た人にはそれがよく伝わって来ます。

 でも、そこまで。

 本当にそこまで、でした。

 彼はやってはいけなかったのです。「記憶に残る名画のあのシーン」を、
まんまそのまま作ろうとしては。しかも制作手法・工程については素人、
物語の創作経験もなく、構図も切れず、主役は自分(演劇経験一切なし)、
おまけに手に入る範囲の予算と資材だけしか持っていないのでは。

 色んな意味で、最初っから限界が来ていました。

 この作品については幾百の方が様々な解説をされていますので、ここ
からは、個人的に気がついた舞台設計についてをいくつか挙げてみます。

 まずセットの設計が出来ていません。どう構図を切るか、どのアングル
が必要となるか、で、実際のロケーションの中にカメラや員数、役者を
入れるのに不都合となる場合、もしくは現実に存在しない場合に、セット
を組む必要が生まれるわけですが、それは実際の構築物とは違っていて
あたりまえなのです。カメラが写したい方向だけに壁があればいいし、
その逆を言えば、四方を作ってあっても状況に応じてカメラ・機材が
陣取る方向が一部分解できるようにしておくか、アングルによっては
部分的に別セットを組む必要があります。それはちゃんとした映像の
イメージがコンテワークやストーリーボードのような形で下書きに
なっていなければ不可能で、ストーリーの中でどれだけの量を画像化
しなくてはならないか、どこまでできるのか、をあらかじめ抽出して
構築物を見積もっておかなくてはお金がいくらあっても足りません。

 しかし、彼がやっちゃったのはこうです。

 実際に狭い通路と客室コンパートメントがいくつもある列車みたいな
横長のなにかをセットとして床面積の横幅ギリギリ一杯に作る。これは
分解不能で、でも結局撮影しているときには使う客室はひとつだけ。
ほぼ同じ構造なのに。そして寝台列車の個室がある車両の構造をよく
思い出して下さい。そう、とても狭いですよね。これを壁全部作りつけ
で作ってしまったら、カメラ機材や撮影する人、役者が入るスペースは
どの状況になってもギュウギュウ詰めに当然のごとくなるので、撮影
できるアングルはごく限られた平板なものだけになります。画面にもう
動きがなく実に狭っ苦しいです。カットバックもパンもズームもろくに
生かせません。というか、カメラがどこにはまりこんで身動きが取れな
くなっているのか、映像を見ていてもう手に取るようにわかってしまい
ます。そんな空間で漠然と場当たり的に撮影をしていればそりゃあ窮屈
にもなるでしょう。

 似たようなことに、「動線の設計」というものがあります。物語を
文字で描く時にも本来必要なのですが、「このタイムライン上で、現在
各人物はどこの場所に存在していて、どう動いているのか、そしてその
空間はどのような場所、位置関係なのか」、という空間の設計図なの
ですが。とみに映画などの場合、それが破綻していると珍妙なシーンが
たちまち出来上がる原因ともなります。ワープする主人公、さっきまで
夜だったのに外に出るとあーらいい天気、などなど。

 「2」では、どう見てもどっかのリゾートマンションにしか見えない
大満州の有名旅籠「富士屋ホテル」が舞台になりますが、全景もなけれ
ば内部の動線も描かれません。ビジョンが最初からないのです。途中で
「これ宇宙戦艦の中です」と言われてもああそうですか、にならない
ために、多少の説明的画像の挿入や、説明的台詞などの小細工は折々に
必要なものなのですが。水野氏は「撮りたいあの名画のあの場面」だけ
しか愛していないので、そういう瑣末に思える部分には必要を感じて
いらっしゃられなかったのでした。

 冒頭からだらだらと続く続々と登場人物が入ってくる「玄関」と称す
一切写らない横向きのエントランスは、「うわあすごいあらしだあ」と
ドリフも真っ青な素人芝居でホテルマンが吹っ飛ぶシーンなどでも度々
出てきますが、カメラが終始置きっぱなしになっているその定点からは
延直線上の垂直面にあり、なぜかそこから入ってきた人達は構図の奥に
無駄に伸びている下ってゆく通路ではなく、カメラを左に首振りすると
ようやく写る曲がり角にちょこん、と置かれた簡易カウンター(という
か電話台)の方にやって来ては、チェックインしてさらに狭苦しい左側
の死角へと次々とはけてゆきます。

 どこにゆくのでしょう。

 まあそういうものだと飲み込んでおいたとして。

 今回はセットではなくロケハンですから、多少やむなしと考えて。

 多少ですよ?

 ラストシーン、(ネタバレ注意!まあ誰も怒んないか)犯人さんは
お歌が流れる中を戦争の悲しい歴史の被害者だとかなんだとかいうことで
悠々と歩みホテルを去る(ということですよね?あれ?)後姿を延々と
我々に哀愁を込めて見せてくれます。

 さっき説明しましたロビーから見まして。

 下ってゆく通路の奥へ。

 はい、ここで問題です。

 建物の出入り口はどこでしょう?

 最後のシーンに使う予定があって、最初の方から立て続けに手前に
あたる横向きの玄関(おそらく実際の外との出入り口ではなく部屋か
別の通路の出入り口ドア)を使ってしまっているなら、奥行きに伸び
る通路を物理的に仮設物で塞いでおくか、せっかく角がさらに手前に
あるのですからそれを利用して、撮影位置を少しだけ左にずらし、
角度を変えて奥に伸びる空間を死角で切断しておけばよかったのです。
そうすれば、未知なる富士屋ホテルのいずこかの出口に通じる大通路
だと言われても(言われなかった場合でも)、誰もが気にしないこと
でしょう。

 架空の建物、場所であっても、全体像の設計は必要なのですよね。
これまた逆説的に言えば、ロケーションハンティングで使う建物が現実に
いかなる構造であっても、違う場所に自由に見せることができるわけで。

 まあ、このように。

 もう、とにかく映像作りを専門に勉強したことがあるわけでもないし、
看板・サインの実地経験や奇術の知識などはあれども映像のセット作り
なんかしたこともない素人のこのわたくしでさえも、「これはだめ!
これやっちゃだめ!」とハラハラしてしまう点がはじっからはじまで
てんこ盛りなのです。その他、演出、お芝居、構図、物語構成、小道具
衣装、役者選びの方法からなにからなにまで。

 かのエド・ウッドも映画が好きで好きでたまらなくて、とにかく作りたい
人だったそうです。でも彼は失敗しました。「物語を作りたい人」でも
なく、「映像作品を完成させる現実的職人作業がしたい人」ですらなかった
からでした。彼にとっては、映画というものそのものを作って、映画館で
上映すること、その行為が目的だったからです。水野晴雄氏にも、なにか
共通する部分があるような気がしてやみません。その為、生まれ出た子は
親の因果が子に報い、哀れ見世物小屋のフリークスとなってしまいました。

 ですからかような悲劇を繰り返さないためにも、ぜひとも映像を志す
皆様には必ず隅から隅まで目を通していただきたい。これは金字塔的
作品と言っても過言ではないでしょう。地面の中に向かってさかさまに
伸びてゆく金字塔ではありますが。きっといい教科書になります。
演劇を志す人、漫画を描く人、物語を書く人にもお勧めしたい。一度は
冷静にじっくりと観て、そしてあとはしまっておくか飾っておいても
構いません。そんな作品なのです。

 あとは不覚にも閣下にラブを感じてしまったら、好きなだけ観て下さい。
そこから先の価値は、あなたにとってのかけがえのない宝石です。

 色々な意味でシベリア超特急をお勧めし、同時にお勧めしない本文。

 あなたのハートには、何が残りましたか?

 気になります。



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真打登場、とでも申しましょうか。 [アニメ]

 うむ、ワンシーンだけとは言えやはり婚后みっちゃんは婚后みっちゃんだ。
さすがは常盤台のエース(自称)。なごみますなぁ。

 とりあえず原作の大覇星祭での「玉入れ競技の時に高笑いを上げてなんか
相手へ挑発的なことを言う常盤台の女子」にみっちゃんはナイスキャストです。
ていうかまあそこしか出るとしても場所がないんですけども。あるとしたら
オリアナ追撃戦が終わってからの常盤台と上条さんとこの直接対決の描写が
ちょこっとでも描かれたら、というところでしょうか。

 でも!期待してしまいます。それが無理だとわかっていても!

 がんばれみっちゃん!

 当ブログはそんなにたいした意味もなく婚后光子を応援しています。

 にしても。黒子はまぁほんとに愛されてますよね。出番の多いこと多いこと。
今後、海外編にストーリーが移ると超電磁砲の第二期が実現するまではほぼ
まったくお会い出来なくなってしまいますし、今のうちにさとみっこ成分を
たっぷりと補充できるのは個人的には大変嬉しゅうございます。あと出番は
後夜祭でビリビリに無理矢理フォークダンスに付き合わされている自称不幸な
ラッキースケベのあんにゃろうにテレポートでドロップキックをかますシーン
でしたっけ、原作からすると。

 ところで、常盤台の選抜チームに抜擢された我らが婚后光子さんですけど、
玉入れ競技にあの空力使いの能力はどのように発揮されたのでしょうか。

 となると、またもやありもしない事を想像してみずにはおれません。

 まず、現在常盤台には能力レベル5が2人とレベル4が27人ほどいらっ
しゃるという設定がございまして。当然、レベルは高くても物理干渉型では
ない能力者が選考から外れ、多少の人数を攻撃色の強いレベル3能力者で
補強する感じでおおむね選抜チーム20人枠が埋まる、と推察しましょう。
この段階で、我らがみっちゃんはレベル4枠で選抜対象に選ばれていて、
おーっほっほっほっほっまぁ当然ですわぁわたくしを誰だと思いまして?
常盤台のエース婚后光子ですのよ?とか内心狂喜乱舞しながら高笑いを
あげて水泳部コンビにさすがですね光子様とか言われちゃったりなんか
しちゃったりなんかしてもう、ニクイねちょんちょん!皆までゆーな
ちょんちょん!このぉこのぉ!な状態になっていたことは、神ならぬ
わたくしにも容易に想像できます。

 が、しかし。問題は実際の競技になってから。

 確かみっちゃんの能力って、空気の噴出点を作るのに一旦手で触れる
必要があるんじゃなかったんでしたっけ..........?

 つまりこういう事です。

 持続的に風を起こして玉を滞空させるような空力能力ならともかく、
みっちゃんの能力では結局玉をいっこいっこ拾っては打ち上げ、能力を
弱く絞ってコントロールしながら弾着修正をする必要があるのでは?

 これでは玉入れであまり役にたちません。むしろ拾った玉をそのまま
えいやっ、と手で投げ込んだ方が楽だし確実です。競技が始まった途端、
最初は景気良く両手に掴めるだけ掴んだ玉をご自慢のエアロハンドで
打ち上げようとして散弾のようにばら撒いてしまい、おかしいですわ
なかなか思ったようには、とおろおろしながら玉を拾っては打ち上げ、
すっかり競技から取り残されてしまうみっちゃんの姿が目に浮かぶよう
な気がします。

 現実的なところとしては接近戦に持ち込んで、籠の下に群がってくる
相手校の生徒に無差別に触れて吹き飛ばし、群衆にぶつけて妨害するか、
その掴んだ玉を水平に向け、散弾として面制圧すればよろしいのですが。
まぁコントロールが苦手そうなみっちゃんにそれをやらせると味方の方が
危ないので、おそらく練習の段階で身の危険を感じた選抜チームの皆さん
は目に涙を浮かべて必死で懇願しながら制止したことでしょう。

 土煙がもうもうと立ち込め、悲鳴と能力飛び交う地獄絵図の中にあって、
おかしいですわねぇえいっえいっと一人ちまちま玉を拾ってはいっこづつ
籠に向けて発射することに没頭してしまう婚后みっちゃん。もう想像する
だけでもかわいらしい。何の戦力にもなっていませんがだがそこがいい。
頑張り屋さんのみっちゃんのことです、きっと競技が終わるまでには上手
に籠へ玉を入れることができるようになっていることでしょう。たとえ
それがいっこづつであったとしても、千里の道も一歩から、塵も積もれば
山となるなどとも申しますし、その地道な努力はきっと常盤台チームを
勝利に導く力となることは間違いのないところです。アマチュアスポーツ
はベストを尽くして参加することに意義があるのですし。

 とはいえ、打倒長点上機学園に燃えて去年の雪辱を晴らさんと意気込ん
でいた常盤台中学の学校関係者には渋ぅ~い顔をされてしまっていたの
ではないか、と大変気になります。

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アニメのキャラデザでは少しデコ成分が足りないかなとは思ったんですのよ。ええ、ちょっとだけ。 [アニメ]

 おお。

 上条無差別ハーレム属性能力唯一のフラグブレイカーであるところの
正論魔人こと吹寄制理さんのお声が!

 正論魔人を演じさせたら今や日本一の!

 藤村歩さんでした。

 ナイスキャスティング!

 それにつけても。

 序盤こそとうまーとうまーおなかがすいたんだよーとか美琴の順調
ヤンデレ化とか上条さんのラッキースケベ能力全開とかそういう実に
楽しいシーンてんこもりですが、そういえば大覇星祭の話って序盤
以外は禁書目録特有の血塗れ痛々しい話が延々と続くんだったっけ。

 人が傷ついたり苦しんだりする描写が大好きの思春期病のおおきな
おともだちには悪いけど、アニメはそのへんを展開を早くはしょって
うまく短く流してるからまだ見るに耐えられるのだと思うのですよ。

 活字ではとにかく描写がないと何も存在しない空間だからくどくどと
血塗れ描写を連ねる必要があったりするものだからまだ仕方がないに
しても、映像という媒体になってしまったら一目瞭然である部分ならば
不要に強調しても逆効果なばかりだと、活字媒体の映像化を見ていて
常々思っておりまして。

 何より架空の人物だからと言っても他人の痛みは見ていて辛い。瞬時
に我が身に置き換えてしまうし、心配になるから。

 だから今度もうまいことはしょって欲しいな、と思うわけで。ともあれ
今回もさらっと流しつつ進めていただける事を切に願う次第。

 ところで、大覇星祭と言えばあの人の出番も期待できますよね。

 ほら、我らがアイドルの。

 優勝候補筆頭のあの学び舎の園の。

 常盤台のエース(二番手)こと婚后みっちゃん。

 まあ、対抗競技の噂話でちらっとそれらしい人の描写が出てくるだけ
なので出たとしてもワンカットでしょうけど。

 それでも期待に胸が吹寄さんくらゲフンゲフン*膨らんでしまうのは
ファンとしては仕方のないことでしょう。黒子と初春もちゃんと出たし。
 
 大変気になります。
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みっちゃんみっちゃん。 [アニメ]

 しばらく放置状態だったこのブログも、いやさ更新せずばなりますまい。

 なぜなら、そこに婚后光子ことみっちゃんがいるから。

 久々でございます。

 さて、とある科学の特捜御坂チームがですね。あれ?

 とある科学の超電磁砲OVAがですね。

 まあそれはいいとして。

 OVAのわずかな尺の中にもやはりみっちゃんの存在は欠かせないようでした。
つまり例えるなら、必須栄養素のようなかけがえのないものだと考えられます
(主にわたくしにとっての)。

 この度もやはりあほの子ゲフンゲフン*正義の人、婚后みっちゃんの活躍は
まさに胸をすくようなものでした。

 まあいつものように揉め事に首を用もなく突っ込むだけ突っ込んでみては、
何も解決できてないだけなんですけれども。そこんとこはGメン75も真っ青な
凶悪犯罪との対決実績を誇る風紀委員活動第一七七支部のゆかいな仲間達とは
経験値も違うのでしょうがないわけですが、そこは非力な中学生の小娘なりに
必死に考えて行動しているところがなんとも健気な婚后みっちゃん。果敢に、
情報収集のため、ネットの学校裏サイトのような下賎な場所に挑みます。

 自分の数少ない友jゲフンゲフン*自らのフォロワーたる可愛い水泳部コンビの
さらに見も知らない先輩の問題であるというのに、武侠心を興してどうにか
してやりたい、と動き出す婚后光子さんは本当に単なる騒動好ゲフンゲフン*本当に
正義の人なのだなあ、と微笑ましく見守りたくなってしまいます。素敵です。
あああぶなっかしいあぶなっかしい。見守るというかハラハラしてしまって。
もう誰かちょっと止めてあげて。

 そしてネットの中でもとりわけ汚らしい下賎な輩が巣食いやすい匿名掲示板
での失礼千万な放言三昧に、正義の怒りをほとばしらせるみっちゃん。

 「どなたなの!わたくしをT台のMKと知っての狼藉ですの!?」

 さすがです。

 ていうかみっちゃんみっちゃんちょっとちょっと。

 匿名だっつってんでしょうに。知らない人同士が前提のところでも自己の
存在感をアピールせずにはいられない、存在感オーラの塊な婚后光子さん。
やはりそこに痺れる憧れる。決して空気読めないあほの子だとか言っちゃダメ。
このまっすぐさが愛らしいキャラクターなのです。

 その書き込みを偶然発見した白井”ジャッジメントですの”黒子さんにも、
とっても残念そうな表情で苦笑いをされてしまう我らがみっちゃん。
もはやお約束です。伝統芸能の域にすら達しているかもしれません。
ていうかこれはもう立派な超電磁砲シリーズの必須構成要素、いわば中オチ
(なかおち)担当。中オチとかなんかおいしそうな響きです。油がノッて
いるような感じがします。

 そして事情聴取のためにとあるカフェーに呼び出されてしまう婚后さん。
ななななぜですの匿名の書き込みでしたのにわわわわたくしだとなぜ、と
手元のティーカップをカチャカチャ言わす程挙動不審な態度で一旦シラを
切ろうとしたけどやっぱり無理でした的な対応をするみっちゃんかわいい。
ていうか思いっきり名乗り挙げてたでしょうに。そこの水泳部コンビも素で
「なんという調査能力.......!」とか言わないほらほら。ほんっとに心配になる
くらい天然なんだからあなたたちは。危なっかしいったらありゃしない。

 さらにさりげない会話にもすかさず自慢話を盛り込もうとしてあっさりと
黒子さんに流されるお約束の展開ももちろん用意されております。素晴らしい。
さすが学園屈指の残念美人と言われてしかるべき逸材ここに在り、です。
残念美人レベル5学園1位のきやまてんてーにはかないませんが。まあ永遠の
二番手というおいしいポジション(お笑い的な部分も含めて)が婚后さんには
栄誉ある立ち位置であるので、そこはそれまあ仕方がありません。それでこそ
我らがみっちゃん。完璧な人間などほとほと退屈なものです。

 い、いえ、別にみっちゃんがおもろい人だとかそんなことは言ってません。

 微笑ましいだけで。

 すいませんうそついてました。まあそれはおいといて。

 まあこうして久々にまた婚后光子さんの大活躍.........はしてないか。安定した
立ち位置での華麗で優雅な登場を見ることができてわたくしは幸せでした。
今後も婚后みっちゃんファンとして、とあるシリーズから目が放せないところで
ございます。

 次回の「とある魔術 II」の方では白井黒子さんメイン回だそうですが、どこか
ちょこっとだけでもどさくさまぎれにみっちゃんが出オチ的に出てこないかな、
と大変気になります。
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お嬢様、戦う。 [ミリタリー]

 長らくお休みしていましたが、唐突にWebで見つけて気になったことを。

 さて、時は1914年9月。南米大陸にほど近い、トリニダードの沖合いに、
一隻の美しい客船がおりましたとさ。

 彼女の名は、カーマニア。キューナード・ライン所属の大型外航快速客船で、
石炭炊きが中心であった当時の貨客船の内にあっては、割と快速な部類に入る
18ノットで巡航できる船でした。

 時はあたかも第一次世界大戦幕開けの丁度その時であります。現在のように
航空機が発達する遥か以前の時代のこと、当時の英国は、文字通り世界中に
点在する英国を構成する全てのパーツと、海路によって繋がっておりました。
さあそこにつけこんだのがドイツ大海艦隊。無制限潜水艦戦争などはまだまだ
起こっていないこの時代、彼らが取った手段は「穀物倉にネズミを放つ」こと。
海軍の戦力では格段に劣っていたことを自覚している大海艦隊としては、かく
茫漠として広大な全世界に広がる海洋に、ほんの一握りの武装した貨客船や
軍艦などの独行船をばら撒き、英国船の主要航路付近で商船を散発的に襲わせ、
不安と恐怖によって交通を遮断、そして貴重な海軍戦力を捜索のために割かせ
るという、いわゆる「通商破壊作戦」をはじめます。

 さてこれに困ったのが英国海軍。現在のようにブロック構造や自動溶接で
大型船ががっつんがっつん建造できるような時代ではありません。岸に近い
あたりを這うように進む内航船ではなく、外海の猛々しい荒波に十分耐えて、
長期間行動できる大型船や軍艦は数が限られています。そこで、窮余の策と
して、長距離航路で華々しく活躍していた海の貴婦人たちにも召集令状が
届くことに。武装商船巡洋艦(Armed Merchant Cruiser)の誕生、と相成る
わけです。

 彼女達はもちろん、軍艦として設計されたわけではありません。大砲を
乗せるにしても発砲の衝撃にデッキが耐えられるように最低限補強をしなく
てはなりませんでしたし、持たされた砲も海軍のお古や余った陸軍砲など、
どちらかというと豆鉄砲のような代物が多かったようで。主たる任務は、
不審な船の捜索、臨検などのパトロール。高速客船たる船足を生かして、
本当に武装商船や軍艦に出くわした時には無線で通報しながら距離のある
うちに逃げ、退治は本職の軍艦に任せる、というのが本来の働き方でした。

 ところが。恐れ多くもH.M.S.(His Majesty's Ship = 国王陛下の軍艦)の
冠を戴いたお嬢様、カーマニアさんはちょっと違っていたようです。

 この、第一次世界大戦での軍艦に叙された船同士の初めての海戦に
あたる戦いは、ちょっとだけ特殊な状況により、前代未聞のお嬢様バトル
へと発展した非常に珍しいケースでした。対する相手は元ハンブルグ・
南米ライン出身のドイツ武装商船、カプ・トラファルガー。この2隻は
性能、大きさ的にもほとんど同じくらいで、武装もほぼ同レベル、あまつ
さえその時、この運命に導かれたライバルお嬢様同士は同じ海域にいると
おぼしきお互いの姿へと戦時偽造しており、奇しくもカーマニアは偽装
煙突をひとつ立てて3本煙突のカプ・トラファルガーに、対するカプ・
トラファルガーもカーマニアに見えるようキューナード風の白黒化粧を
して煙突を赤く塗って(実際にはカーマニアの方は軍艦色のグレイ一色
になっていましたが)いたそうです。お互いの姿を目視で発見した時には、
さぞかしびっくりしたことでしょう。

 さて、武装商船という胡散臭いお仕事のせいでリッチなお食事を採りに
レストランに立ち寄る(敵対水域なので寄港できない)ことすらできない
身の上なカプ・トラファルガー嬢。トリニダード沖の無人島拠点で腹ぺこ
になって行き倒れかけていたところへ実家のシェフ(2隻のドイツ給炭船)
を呼びつけ、優雅にお食事をなさっていました。
 その高々と上がる不審な炊事の煙を見つけ、あらあらまあまあ何かしら、
と入り江を覗き込んだ好奇心旺盛なお年頃の我らがカーマニアお嬢様。
ドイツ側の不意を突く形で入り江に入り込んだまではよかったのですが、
お互いに図体のでかい客船ですので小回りが利きません。このままケンカ
をするにはあまりに部屋が狭すぎます。そこで、二人のお嬢様は銃に手を
かけたまま睨み合い、じりじりと距離を取りつつ、だっ、と全速力で玄関
から庭へと(入り江から開けた海面へと)走り出します!

 片やドイツのお嬢さんは2丁拳銃(10センチ砲2門)と6本の豆鉄砲
(2ポンド速射砲)、対するイギリスのお嬢様は片手に4丁づつの拳銃
(12センチ砲8門)を握り締めて突進。最初にぶっ放したのはカーマニア
の方でしたが、惜しくも逸れて反撃を食らいます。しかしお互いに大きな
客船で的はでかいのですが、いかんせん海軍砲としては武装がどちらも
口径がちいさく、仮設なので海戦機動をして揺れまくるデッキに据えら
れた各々の砲は直接照準で発砲するしかなく、いまいちお互いに決定打を
与えられません。4インチくらいの口径の砲でしたら、軽巡洋艦などの
もっと小さな軍艦では立派な主力火砲にあたるのですが..........。

 このお二方の場合、なにせお互いに一万八千トンクラスの大型客船なの
で、サイズだけなら戦艦並、浮力と容積には余裕がありまくりなのです。
しかも客船であるため間仕切りが多く、構造的に複雑堅牢で容易には船体
が崩壊しません。その逆に、装甲があるわけでもないので、砲弾が爆発せ
ずに反対舷まで貫通してくれたり、爆発したとしても空き客室があたかも
中空装甲のような効果を発揮して、衝撃と破片をその場で食い止めてしま
います。軽巡クラスの主砲では、お互いに相手をずどん!と一発で仕留め
るわけにもいかなかったのでした。

 戦いはおよそ2時間以上に及び、お互いの距離は気付けばどんどんと
狭まっていて、ついには臨検用の小銃や機関銃を持ち出した水兵たちが、
舷側にずらりと並んで撃ち合いはじめる始末。さすがに船体をぶつけ
合っての斬り込み戦にはなりませんでしたが、状況はさながら木造帆船
時代の戦列艦の戦いのようになって来ました。カプ・トラファルガーの
方は沈んでしまったので記録が残っていませんが、この状態で最終的に
カーマニアお嬢様は79発もぶん殴られ(命中弾を浴び)、お帽子なども
吹っ飛ばされ(艦橋に被弾)ていたそうで、どちらの方ももうドレスが
ビリビリに破け血だらけに(両艦とも火災が発生)なってもまだまだ
意地を張りつつポカポカと殴り合っていたそうです。

 カーマニアお嬢様がもはや裸同然に(火災で危険な状態に)なって
しまいもうこれは淑女にあるまじき状態にあと一歩というところで、
なんと同じように着衣を乱していた(こちらも危険な程火災を起こし
ていたそうです)カプ・トラファルガーがボディーブロー(喫水線
下への被弾)に耐え切れず、左にぐらり、と倒れてノック・ダウン。
哀れ海の藻屑となり、ここに、史上稀なる南洋のお嬢様バトルは、
勇猛果敢なる英国令嬢に凱歌が上がることとなりました。

 水兵さんに肩を貸してもらい、ボロボロのいでたちでブラジル南岸
まで戻ったカーマニアお嬢様はその後、ジブラルタルで入院。お召し
替えをなさってその後2年間の大西洋パトロール、兵員輸送船などに
携わり、戦後は客船に戻って1932年まで活躍なさったそうです。

 南大西洋の遥か遠い片隅で、他にお付の者もおらず、まったく同じ
と言っていいくらいの大きさの、非力な武装しか持たない二隻の船が、
互いに逃げられない程の距離で出くわし、一騎討ちで長時間戦い続け
るという、なんともラノベか仮想戦記かというような、あまりにも
都合のよすぎる特殊な状況の下で現実に起こった、まさに事実は小説
よりも奇なり、なトリニダード沖海戦のお話でしたとさ。

 しかし、時代が時代なら、このお嬢様方も擬人化されてあざとい
萌えキャラ化されてしまうのでしょうか。気になります。
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